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'''小山 勉'''(こやま つとむ、[[1936年]](昭和11年)[[7月26日]] - [[2012年]](平成24年)[[7月2日]] )は、[[日本]]の[[バレーボール]]選手、指導者。1964年[[東京オリンピック]][[バレーボール]]男子銅メダリスト。

==経歴==
[[香川県]][[坂出市]]出身。



坂出東部中学校から[[香川県立坂出商業高等学校]]時代、長身を生かしたセンタープレーヤーとして実力を発揮し、[[1953年]]のに進学し、[[1953年]]の[[全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会|全日本高校選手権]]で攻守の要としてチームを全国優勝に導いた。

[[関西学院大学]]で全日本大学選手権を制し、実業団の[[富士フイルム]]では何度も全国制覇を成し遂げたも[[全日本バレーボール大学男女選手権大会|全日本大学選手権]]制覇に貢献。

大学卒業後は実業団の[[富士フイルム・プラネッツ|富士フィルム]]に加入し、ここでもチームの全国制覇に貢献<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/sports/local/20120703000145 訃報:小山勉氏(坂出出身)死去/バレー東京五輪で銅] 四国新聞 2012年7月3日閲覧</ref>。
[[バレーボール全日本男子|全日本男子]]にも選出され、[[1964年]]の[[東京オリンピックにおけるバレーボール競技|東京オリンピック]]では銅メダル獲得に貢献。

[[1972年]](昭和47年)に[[松平康隆]]の後を引き継いで[[バレーボール全日本男子|全日本男子]]監督に就任する。[[モントリオールオリンピック]]日本代表チームを率いたが、準決勝で[[ポーランド]]に敗れてオリンピック連覇を逸した。

その後、[[1988年]](昭和63年)の[[ソウルオリンピック]]でも再び全日本男子を率いた。

ソウルオリンピック終了後には、松平康隆日本バレーボール協会会長の下で協会の常務理事、専務理事を務めた。

(contracted; show full)[[Category:富士フイルム・プラネッツの選手]]
[[Category:香川県出身の人物]]
[[Category:1936年生]]
[[Category:2012年没]]

[[en:Tsutomu Koyama]]
[[fi:Tsutomu Koyama]]
[[no:Tsutomu Koyama]]