Revision 45834640 of "安倍晋三" on jawiki{{政治家
|人名 = 安倍 晋三
|各国語表記 = あべ しんぞう
|画像 = Abe Shinzo 2012 02.jpg
|画像サイズ = 200px
|画像説明 = [[2012年]][[9月]]、[[長野県]][[長野市]]にて
|国略称 = {{JPN}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1954|9|21}}
|出生地 = [[東京都]]
|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = [[成蹊大学]][[法学部]]卒業
|前職 = [[神戸製鋼所]][[従業員]]<br>実父秘書
|現職 =
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[清和政策研究会|町村派]])
|称号・勲章 = [[政治学士]](成蹊大学・[[1977年]])
|親族(政治家) = 佐藤信彦([[高祖父]])<br>[[安倍寛]]([[祖父]])<br>[[岸信介]](祖父)<br>[[佐藤榮作]]([[大叔父]])<br>[[安倍晋太郎]]([[父]])<br>[[岸信夫]]([[弟]])
|配偶者 = [[安倍昭恵]]
|サイン =
|ウェブサイト = http://www.s-abe.or.jp/
|サイトタイトル = 衆議院議員 安倍晋三 公式サイト
|国旗 = JPN
|職名 = 第96代 [[内閣総理大臣]]
|内閣 = [[第2次安倍内閣]]
|選挙区 =
|当選回数 =
|就任日 = 2012年[[12月26日]]
|退任日 =
|所属委員会 =
|議員会館 =
|元首職 = 天皇
|元首 = [[明仁|今上天皇(明仁)]]
|国旗2 = JPN
|職名2 = 第90代 内閣総理大臣
|内閣2 = [[第1次安倍内閣]]<br>[[第1次安倍内閣 (改造)]]
|選挙区2 =
|当選回数2 =
|就任日2 = [[2006年]][[9月26日]]
|退任日2 = [[2007年]]9月26日
|所属委員会2 =
|議員会館2 =
|元首職2 = 天皇
|元首2 = 今上天皇(明仁)
|職名3 = [[ファイル:Japanese crest Kage jyuyonn Kukiku.svg|20px]] 第25代 [[自由民主党総裁]]
|内閣3 =
|選挙区3 =
|当選回数3 =
|就任日3 = 2012年9月26日
|退任日3 = (現職)
|退任理由3 =
|所属委員会3 =
|議員会館3 =
|元首職3 =
|元首3 =
|職名4 = [[ファイル:Japanese crest Kage jyuyonn Kukiku.svg|20px]] 第21代 自由民主党総裁
|内閣4 =
|選挙区4 =
|当選回数4 =
|就任日4 = 2006年[[9月20日]]
|退任日4 = 2007年[[9月23日]]
|退任理由4 =
|所属委員会4 =
|議員会館4 =
|元首職4 =
|元首4 =
|国旗5 = JPN
|職名5 = 第72代 [[内閣官房長官]]
|内閣5 = [[第3次小泉改造内閣]]
|選挙区5 =
|当選回数5 =
|就任日5 = [[2005年]][[10月31日]]
|退任日5 = 2006年9月26日
|元首職5 =
|元首5 =
|国旗6 = JPN
|その他職歴1 = [[内閣官房副長官]]
|就任日6 = [[2000年]][[7月4日]]
|退任日6 = [[2003年]][[9月22日]]
|国旗7 = JPN
|その他職歴2 = [[衆議院議員]]
|就任日7 = [[1993年]][[7月19日]]
|退任日7 = 現職
}}
'''安倍 晋三'''(あべ しんぞう、[[1954年]]〈[[昭和]]29年〉[[9月21日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。現在、[[国会議員|衆議院議員]](7期)、自由民主党総裁(第21・25代)、内閣総理大臣(第[[第1次安倍内閣|90]]・[[第2次安倍内閣|96]]代)。
[[自由民主党幹事長]](第37代)、内閣官房長官([[第3次小泉改造内閣|第72代]])などを歴任した。
==概要==
親族に政治家が多く、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の[[佐藤栄作]](第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]])、弟の岸信夫(衆議院議員)などがいる。妻は[[森永製菓]]社長令嬢の安倍昭恵。
大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣[[秘書官]]を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年(平成18年)に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年(平成19年)9月26日に内閣総理大臣を退任。2012年(平成24年)9月に自由民主党総裁、同年12月26日に内閣総理大臣に再就任。
==来歴==
===出生===
1954年(昭和29年)9月21日、当時[[毎日新聞]][[記者]]だった安倍晋太郎とその[[妻]]、洋子の次男として[[東京]]で生まれる([[本籍|本籍地]]は山口県大津郡油谷町(現・[[長門市]])。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大[[おじ|叔父]]にはやはり後の[[首相]]・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に[[政治]]がありました」と回想している<ref name="tkso2">{{Cite web
|url = http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/2003_10-03/031004_02.html
|author = 梶川浩伸
|title = 夕刊フジ特捜班「追跡」-3回生の衝撃- - 「安倍晋三」大研究(2) -
|work = 夕刊フジ
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>。幼い頃は[[野球選手]]や[[刑事]]になることに憧れていた<ref>{{cite web
|url = http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061214.html
|work = 政府インターネットテレビ:安倍総理のライブ・トーク官邸/政府広報オンライン
|title = 第10回「40年ぶりの給食」
|date = 2006-12-14
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
===学生時代===
[[成蹊小学校]]、[[成蹊中学校]]、[[成蹊高等学校]]を経て、成蹊大学法学部[[政治学科]]を卒業。
小学4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]]が[[家庭教師]]についていた<ref name="tkso2"/><ref>{{Cite web
|url = http://www.janjan.jp/government/0609/0609070828/1.php
|title = 政治・安倍政権は国民の支持がカギ―平沢勝栄氏インタビュー
|work = [[JANJAN]]
|date = 2006-09-08
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。高校では[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属<ref name="naz1">{{cite web
|url = http://news.livedoor.com/article/detail/2464699/
|title = 「人間・安倍晋三の実像」(1)
|work = ライブドア・ニュース
|author = 満富俊吉郎
|coauthors = 徳永裕介
|date = 2006-09-19
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>。高校卒業後成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった<ref>『滋賀市民新聞』2007年2月12日 第4784号</ref>。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという<ref name="naz1"/>。1977年春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った<ref>『[[月刊現代]]』 2003年12月号「安倍晋三 気骨と血脈」、野上忠興</ref>。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され<ref>『[[報知新聞]]』2月16日</ref>[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、[[1979年]]に[[退学|中退]]した<ref>『[[日本経済新聞]]』2004年2月6日付、[[共同通信社]] 2004年2月5日付</ref>。
===会社員時代===
1979年(昭和54年)4月に帰国し、[[神戸製鋼所|神戸製鋼]]に入社。[[ニューヨーク]]事務所、[[神戸製鋼所加古川製鉄所|加古川製鉄所]]、東京本社で勤務した<ref name="tkso2"/>。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点<ref>{{Cite web
|url = http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2007/0315.html
|title = 安倍内閣メールマガジン 第21号 - 更生する少年たちの心
|date = 2007-03-15
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>」、あるいは「私の原点<ref>{{Cite web
|url = http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20070315.html
|work = 政府インターネットテレビ:安倍総理のライブ・トーク官邸/政府広報オンライン
|title = 第20回「26年ぶりの職場/少年院」
|date = 2007-03-15
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>」だったと回顧している。
===政界へ===
神戸製鋼で3年間勤務した後、[[1982年]](昭和57年)から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての修行を行う。[[1987年]](昭和62年)に[[松崎昭雄]]・森永製菓社長の娘で[[電通]]社員の[[安倍昭恵|昭恵]]と[[結婚]]する。この時[[仲人|媒酌人]]を務めたのが、[[清和研]]創始者[[福田赳夫]]だった。
===衆議院議員===
[[1991年]](平成3年)に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。1993年(平成5年)に父の地盤を受け継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[山口県第1区 (中選挙区)|山口1区]]から出馬し初当選した(安倍後援会は[[新生党]][[古賀敬章]]や[[日本新党]][[江島潔]]含め三分裂、江島は[[1995年]][[下関市長]]となり手打ち)。当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた[[清和政策研究会]]に所属する(当時の会長は[[三塚博]])。1995年(平成7年)の[[自民党総裁選]]では[[荒井広幸]]や[[石原伸晃]]と共に[[小泉純一郎]]選対の中核になった。[[1997年]](平成9年)[[自民党青年局長]]に就任。[[1998年]](平成10年)に政策集団[[NAISの会]]を結成。厚生族として社会保障などに通じた議員と見られていた。
[[ファイル:Robert Zoellick meets Shinzo Abe 2006-01-23.jpg|200px|thumb|アメリカ合衆国国務副長官[[ロバート・ゼーリック]]と握手を交わす(2006年[[1月]])]]
派閥領袖の[[森喜朗]]首相が組閣した2000年(平成12年)の[[第2次森内閣]]で、小泉純一郎の推薦を受け<ref name="naz2">{{cite web
|url = http://news.livedoor.com/article/detail/2473487/
|title = 「人間・安倍晋三の実像」(2)
|work = ライブドア・ニュース
|author = 満富俊吉郎
|coauthors = 徳永裕介
|date = 2006-09-19
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>、政務担当の内閣官房副長官に就任。[[第1次小泉内閣]]でも再任した。
[[2002年]](平成14年)、[[水野賢一]]が[[外務大臣政務官]]在任中に[[台湾]]訪問拒否され同辞任した際も理解を示し擁護、小泉首相の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問に随行し、小泉首相と[[金正日]][[総書記]]との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣[[参与]]の[[中山恭子]]と共に北朝鮮に対する[[経済制裁]]を主張し、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも中山と共に頑強に反対した(この拉致問題への対応により、内閣官房長官だった[[福田康夫]]との関係に亀裂が入ったといわれる)<ref name="naz2"/>。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た<ref>[[西岡力]]「民意は安倍政権の拉致政策を支持」(『産経新聞』2006年8月3日付「正論」欄)</ref>。[[西村真悟]]や[[上田清司]]とも拉致問題・教科書問題・[[日本における外国人参政権]]問題を通して親しくなった。
2003年(平成15年)9月、小泉首相によって[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に抜擢された。事前には筆頭副幹事長への就任が有力視されていたため、小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の[[大平正芳]]総裁時代の[[斎藤邦吉]]幹事長以来24年ぶりであった。[[国務大臣|大臣]]経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、[[民由合併]]で[[政権交代]]の機運が高まり苦戦が予想される同年11月の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが、自民党の単独過半数はならなかった。安倍の当選同期で同じ森派に所属する[[高市早苗]]や[[中村力]]、安倍を兄貴分と慕う新人候補[[高鳥修一]]や別派閥([[平成研]])ながら党内保守派で親しい[[新藤義孝]]は小選挙区で落選し、[[比例復活]]もできなかった。一方で[[保守新党]]党首(自民党推薦候補でもあった)[[熊谷弘]]に[[無所属]]新人として挑戦した[[城内実]]を水面下で支援し当選に導いた。
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」([[派閥]]の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。[[2004年]](平成16年)4月[[埼玉8区]][[補欠選挙]]で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人[[柴山昌彦]]が当選(同公募には[[佐藤ゆかり]]も最終選考に残った)、同年夏の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・[[武部勤]]の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任(幹事長経験者の幹事長代理就任は異例)。直後に[[自由民主党中央政治大学院#地方政治学校|きょうと青年政治大学校]]や[[靖国神社崇敬奉賛会]]で講師を務めた。幹事長代理として迎えた2005年の[[郵政国会]]では前出の城内を「せめて棄権・欠席なら君を救う事が出来る」と説得したが実らなかった。[[第44回衆議院議員総選挙|05年衆院選]]では[[保守]]派[[弁護士]]の[[稲田朋美]]を「[[小泉劇場#刺客|刺客]]」(「[[郵政民営化関連法案]]に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、[[福井県第1区|福井1区]]の[[松宮勲]]への対抗馬)にスカウトした。また自民党の政治教育機関[[中央政治大学院]][[インターネット]]キャンパス「自民未来塾」の[[党員]]及び[[党友]]組織[[自由国民会議]]無料受講を実現。
====ポスト小泉====
[[ファイル:Shinzo Abe Sep06.jpg|thumb|140px|[[大相撲]][[本場所|九月場所]]表彰式に出席(2006年[[9月24日]]、[[両国国技館]])]]
{{see also|麻垣康三}}
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。
2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。[[憲法改正]]や[[教育改革]]、庶民増税を極力控えた[[財政]]健全化に取り組む方針を示す。また、[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]に当選した場合、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。
===内閣総理大臣就任===
{{see also|第1次安倍内閣|第1次安倍内閣 (改造)|2006年の政治|2007年の政治}}
2006年9月20日、小泉の任期満了に伴う総裁選で[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の[[臨時会|臨時国会]]において内閣総理大臣に指名される。[[戦後]]最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。就任2ヵ月目の11月26日に公邸に入居した<ref>中曽根元首相から公邸に早期に住むようにアドバイスがあったため</ref>。
====第1次安倍内閣====
[[ファイル:Shinzo Abe 2006-Nov-18.jpg|140px|left|thumb|2006年のAPECにて]]
就任表明では「美しい国」というテーマの下に「[[戦後体制|戦後レジーム]]からの脱却」「[[教育バウチャー]]制度の導入」「[[ホワイトカラーエグゼンプション]]」などのカタカナ語を連発し、他の議員からは「分かりにくい」と揶揄された。
安倍は小泉前首相の[[靖国神社問題|靖国参拝問題]]のために途絶えていた[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]への訪問を表明。2006年[[10月]]に中国・[[北京市|北京]]で[[胡錦濤]][[国家主席]]と会談、翌日には、[[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]と会談すべく韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]に入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。
北朝鮮が[[北朝鮮の核実験 (2006年)|核実験]]を実施したことに対しては「日本の[[安全保障]]に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、[[国際連合|国連]]の[[国際連合安全保障理事会決議1718|制裁決議]]とは別に、より厳しい[[北朝鮮の核実験 (2006年)#各国などの対応|経済制裁措置]]を実施した。
同年9月から[[11月]]にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える[[郵政造反組復党問題]]が政治問題化する。[[12月]]には、懸案だった[[教育基本法]]改正と[[防衛省|防衛庁]]の[[省]]昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝煎りで任命した[[本間正明]][[政府税制調査会|税制会長]]が[[公務員宿舎]]への入居と愛人問題で、[[佐田玄一郎]][[内閣府特命担当大臣|行改担当大臣]]が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。この後、閣内でスキャンダルが続いた。
{{Multiple image
|direction = vertical
|width = 180
|image1 = 33rdG8Leaders.jpg
|caption1 = [[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]で各国首脳らと
|image2 = Bush Abe, Camp David.jpg
|caption2 = 記者会見時に[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍(2007年[[4月27日]])
}}
2007年[[3月]]の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」<ref name="ワシントンポスト2007年3月24日">[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]</ref>と欧米のマスコミから非難されたが、[[4月]]下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続き[[日米関係史|日米関係]]が強固なものであることをアピールした。参議院[[沖縄県選挙区]]補欠選挙に絡み、日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため、多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の[[島尻安伊子]]の応援演説を行うなどのバックアップを行い、当選させた(島尻はその後で自民党に入党)。
[[5月28日]]、以前から様々な疑惑のあった[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が[[議員宿舎]]内で、首を吊って[[自殺]]。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し<ref name=shincho2008010332>{{Harvnb|安倍昭恵|2008|p=32}}</ref>「慙愧に耐えない」<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=OnPsoNOFDY8 YouTube映像「松岡農水相自殺仮通夜営まれる」] テレビ記者会見</ref>と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」<ref name=shincho2008010332/>と語っている。また[[年金記録問題]]が大きく浮上した。
こうした中、[[6月]]当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアで大きく報じられた。同月6日 - 8日には首相就任後初の[[主要国首脳会議|サミット]]であるハイリゲンダム・サミットに参加、[[地球温暖化]]への対策を諸外国に示した。また、議長総括に[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決を盛り込ませた。[[7月3日]]には[[久間章生]][[防衛大臣]]の[[「原爆投下はしょうがない」発言|原爆投下を巡る「しょうがない」発言]]が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりを受け久間に厳重注意を行った。久間は直後に辞任し、後任には[[小池百合子]]が就任した。
====参議院議員選挙での敗北====
2007年[[7月29日]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である[[赤城徳彦]]農林水産大臣にもいくつかの[[赤城徳彦#不祥事|事務所費問題]]が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した[[新潟県中越沖地震]]では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の[[第21回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」<ref name=shincho2008010329>{{Harvnb|安倍昭恵|2008|p=29}}</ref> と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む[[公明党]]の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、[[東北地方]]や[[四国地方]]で自民党が全滅、勝敗を左右する[[参議院一人区]]も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。
====体調の悪化と総辞職====
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か[[小沢一郎|小沢さん]]か、どちらが首相にふさわしいか」と[[有権者]]に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する批判が出た。また、参院選直後の[[7月31日]]の[[自由民主党総務会|自民党総務会]]においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た([[安倍おろし]])<ref>{{cite news|url = http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin2007/news/20070731i105.htm|title = 自民総務会で首相退陣論が噴出「政権選択迫ってしまった」|newspaper = 読売新聞|date = 2007-07-31|accessdate = 2010-07-13 }}</ref>。同日、アメリカ下院では[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が議決されていた。翌[[8月1日]]には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。
広島へ原爆死没者に行く前日の[[8月5日]]から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる<ref>「わが告白 総理辞任の真相」『文藝春秋』平成20年2月号</ref>。そして、[[8月19日]]から[[8月25日]]の[[インドネシア]]、[[インド]]、[[マレーシア]]3ヶ国訪問後は[[下痢]]が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた<ref name=shincho2008010329/>。しかし、[[慶應義塾大学病院]]の主治医によると、[[潰瘍性大腸炎]]の血液反応はなく、機能性胃腸障害という検査結果であったという<ref name "yakusoku"></ref>。
[[ファイル:Shinzo Abe Sept. 8, 2007 full.jpg|thumb|180px|[[アジア太平洋経済協力]]首脳会議にて、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと握手を交わす安倍(2007年[[9月8日]])]]
選挙結果や批判を受け、[[8月27日]]に内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍内閣 (改造))。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]で開催された [[アジア太平洋経済協力|APEC]](アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し[[9月10日]]からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、[[内閣総辞職]]することを[[マニフェスト|公約]]した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した<ref name=shincho2008010330> {{Harvnb|安倍昭恵|2008|p=30}}</ref>。
2007年9月10日に[[第168回国会|第168回臨時国会]]が開催され、安倍は[[所信表明演説]]の中で「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「[[美しい国]]」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「(改正案を通すのは)厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を[[麻生太郎|麻生幹事長]]に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです」と慰留された<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=RNelPVHFzaw&eurl=http%3A%2F%2Foshiete1.goo.ne.jp%2Fqa5196010.html&feature=player_embedded フジテレビ「ハッケン」麻生外相インタビュー]</ref>。[[9月11日]]には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」<ref name=shincho2008010328>安倍昭恵「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『[[週刊新潮]]』53巻1号、[[新潮社]]、[[2008年]][[1月3日|1月3・10日]]、28頁。</ref>と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった<ref name=shincho2008010328/>。
2007年[[9月12日]]午後2時([[日本標準時|JST]])、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=8kt_baHoZvc&feature=related テレビニュース速報映像] YouTube TOKYOMX 2007年9月12日</ref>。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。
退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると[[医師]]団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリス[[英国放送協会|BBC]]は「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。
[[安倍内閣メールマガジン]]は9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下、これをもって最終号を迎えた<ref>{{cite web|url = http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2007/0913.html|title = 安倍内閣メールマガジン 第46号|date = 2007-09-13|publisher = 内閣官房内閣広報室|accessdate = 2007-09-26 }}</ref>。
なお、病院側は、安倍首相の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った<ref name=shincho2008010330/>。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった<ref>{{cite news|url = http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5600/news/20070920i513.htm|title = 安倍首相は毎日点滴、53歳誕生日も退院のメド立たず|date = 2007-09-20|newspaper = 読売新聞|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2010年7月}}</ref>。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と[[内閣総理大臣臨時代理]]は置く予定はないという方針をとっていた<ref>{{cite news|url = http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070918/shs070918000.htm|title = 安倍首相の「判断力に支障なし」|date = 2007-09-18|newspaper = 産経新聞|accessdate = 2007-09-26}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた<ref>{{cite news|url = http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070920/shs070920000.htm|title = 「首相は病状と辞任との関係説明を」官房長官|date = 2007-09-20|newspaper = 産経新聞|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。
入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した<ref name=shincho2008010330/>。9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁としてのあいさつは[[谷川秀善]]両院議員総会長が代読した。
9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。<ref>{{cite news|url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070925k0000m010017000c.html|title = 安倍首相:病中会見 辞任は「最悪のタイミング」と陳謝|date = 2007-09-24|newspaper = 毎日新聞|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった<ref>{{cite news|url = http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070925k0000m010084000c.html|title = 安倍首相:置かなかった首相臨時代理 政府内にも疑問の声|date = 2007-09-24|newspaper = 毎日新聞|accessdate = 2007-09-26}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。
[[9月25日]]、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]に出席する意思を明らかにした。9月25日の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には[[皇居]]で行われた福田康夫首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、第1次安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であった。第1次安倍改造内閣はわずか31日の短命に終わった。
;突然の辞任への反応
:多くの国会議員は、記者から安倍が退陣表明をすると聞かされた。[[亀井静香]]が記者に向かって「えっ嘘でしょ。これから代表質問だよ。何かの間違いでしょう」と驚く映像は、繰り返し放送された<ref name "yakusoku">小川栄太郎著『約束の日』 幻冬舎 2012年8月31日</ref>。
:安倍は辞任の理由として「[[テロ対策特別措置法|テロ特措法]]の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している)。一方で、自身の健康に不安があるという理由も[[与謝野馨]]内閣官房長官が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。
:もともと胃腸に持病を抱えているといわれており<ref>{{Cite news|title = 安倍首相、慶應義塾大学病院に検査入院|newspaper = 読売新聞|date = 2001-09-13 }}</ref>、辞意表明当日の[[読売新聞]]・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している<ref>安倍首相が風邪、公邸に直帰、時事通信。2007年9月11日</ref>。この「胃腸の持病」について、安倍は辞任後の2011年に掲載された『[[週刊現代]]』へのインタビューで、[[特定疾患]]である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしている<ref>{{Cite journal
|title = 完全保存版 著名人たちが明かす「私の名医」 いい医者に会えてよかった!|url = http://gendai.ismedia.jp/articles/-/22877?page=4|work = 週刊現代|publisher = [[講談社]]|date = 2011年10月22日号|accessdate = 2012年9月27日 }}</ref>が、辞任表明当時は病名等が認知されておらず、過去に[[脳梗塞]]のために首相を辞任した[[石橋湛山]]や[[小渕恵三]]などと比較して「命に関わらない程度の健康問題」を理由にした退陣と見られたため、立花隆をはじめとして辞任に追い込まれた実質的原因が(本人が記者会見をこなしていることなどを理由に)健康問題ではないとする見方をする論者も存在するなど、批判にさらされることとなった。
:[[9月13日]]に[[朝日新聞社]]が行った緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している<ref>{{cite news|url = http://www.asahi.com/politics/update/0913/TKY200709130439.html|title = 首相辞任「無責任」70% 本社緊急世論調査|newspaper = 朝日新聞|date = 2007-09-13|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。
:臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から驚きの声や批判を浴びた。
:野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判を行った<ref>「無責任の極み」と批判 野党、衆院解散を求める構え(2007年9月12日 東京新聞)</ref>。
:*「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」<ref name="nhk20070912">[http://www.youtube.com/watch?v=IkOtFxgIuJI 2007年9月12日NHKインタビュー]</ref>([[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[小沢一郎]]代表)
:*「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」(民主党・[[鳩山由紀夫]]幹事長)
:*「所信表明直後の辞任は前代未聞」(共産党・[[志位和夫]]委員長)
:*「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」<ref name="nhk20070912"/>(社民党・[[福島瑞穂]]党首)
:与党側でも自派議員の世話に長けた[[古賀誠]]元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た<ref name="nhk20070912"/>。元清和研幹部の[[塩川正十郎]]も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=VlX4y3fkxAU&feature=related テレビインタビュー]</ref>。また、公明党の[[北側一雄]]幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された<ref name="nhk20070912"/>。
:安倍の突然の辞意表明は、日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカ[[CNN]])などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見が多かった<ref>{{cite news|url = http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070913/shs070913019.htm|title =「安倍首相は臆病者」英メディア酷評|date = 2007-09-13|newspaper = 産経新聞|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。
;潰瘍性大腸炎の病状
:17歳のときに、潰瘍性大腸炎を発症する<ref name "yakusoku"></ref>。政治家になってからは、自民党国体副委員長の時、食事ができずに三ヶ月入院して点滴の日々が続き体重も激減した頃が、最も症状が重かった<ref name "yakusoku"></ref>。このとき、「癌でこの先長くない」という噂も流れる<ref name "yakusoku"></ref>。妻の昭恵をはじめ、潰瘍性大腸炎という病名を公表するべきだと、訴える者もいた<ref name "yakusoku"></ref>。しかし、安部は、官房副長官時代の2000年に症状を出たのを最後に、幹事長、官房長官などの激務にも体調は万全だったため、2007年8月の段階までは、病気を克服できたものと判断していた<ref name "yakusoku"></ref>。
;麻生・与謝野クーデター説
:安倍の辞任において、幹事長の麻生太郎と官房長官の与謝野が安倍を 辞任表明に追い込んだとする「麻生・与謝野クーデター説」が自民党の若手を中心にささやかれた。
:自民党幹事長であった麻生太郎は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」<ref name="nhk20070912"/> などと述べ、安倍の辞任を2日前(安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日)にはすでに知っていたことを明らかにした。
:また、[[遠藤武彦]]農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを与謝野馨内閣官房長官と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる<ref>日刊ゲンダイ2007年9月8日、 内閣で「孤立」した安倍首相…「麻生にはめられた」と不信感も</ref>。 この内容について[[9月14日]]の[[報道ステーション]]が麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「(9月14日に安倍氏の見舞いに行った時)『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流した[[デマ]]でしょう」と反論をしている。同日の[[NEWS ZERO]]は、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。
:この「麻生・与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、[[9月18日]]の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は[[9月19日]]に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「[[中川秀直|中川(秀直)]]さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した<ref>{{cite news|url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070919i302.htm|title = 首相の辞意、麻生幹事長「自分以外にも知っていた人いる」|date = 2007-09-19|newspaper = 読売新聞|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref><ref>{{cite news|url = http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070919/shs070919000.htm|title = 中川前幹事長にも伝達の可能性 首相辞意 与謝野長官|date = 2007-09-19|newspaper = 産経新聞|accessdate = 2007-09-26 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>。また安倍が9月24日に行った記者会見の中で本人の口から改めて否定している。
===内閣総理大臣退任後===
[[ファイル:Shinzo Abe and James Zumwalt 20090620.jpg|thumb|180px|[[2009年]][[6月20日]]、東京都にて[[臨時代理大使|在日本アメリカ合衆国臨時代理大使]][[ジェームス・ズムワルト]](右から1人目)と安倍(右から2人目)]]
[[ファイル:Shinzo Abe.jpg|180px|thumb|[[創生「日本」]]の演説にて([[2010年]]6月、[[池袋駅]])]]
====健康の回復====
その後、入院していた慶應義塾大学病院から仮退院し、東京・[[富ヶ谷]]の私邸で自宅療養に入った<ref>{{cite news
|url = http://www.news24.jp/articles/2007/09/27/0493982.html
|title = 安倍前首相が仮退院 自宅療養へ
|date = 2007-09-27
|newspaper = 日テレNEWS24
|accessdate = 2011-01-22
}}</ref>。
[[11月13日]]に[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法|新テロ特措法案]]の採決を行う[[衆議院]][[本会議]]には「はってでも出たい」と出席し、白票(賛成票)を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は(小沢は)賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。
2008年1月、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008011102078550.html 「原稿読み飛ばし」が決定的要因 退陣めぐり安倍前首相 - 中日新聞]{{リンク切れ|date=2009年5月}}<br>「わが告白 総理辞任の真相」『文藝春秋』2008年2月号</ref>。
2008年には[[第169回国会]]会期中に妻の昭恵と[[スキー]][[旅行]]<ref>「安倍晋三前首相が国会そっちのけでスキー三昧って――KY健在」『週刊現代』50巻9号、講談社、2008年[[3月8日]]。</ref> や[[選抜高等学校野球大会]]の観戦<ref>{{Cite web
|author = [[日刊スポーツ新聞社]]
|date = 2008-03-24
|url = http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200803240012.html
|title = 安倍前首相が昭恵夫人と下関商応援 - 日刊スポーツ芸能ニュース
|publisher = 朝日新聞社
|accessdate = 2008-03-24
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref> に出かけるなどしている。
====政治活動の再開====
2007年末、『産経新聞』のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」<ref name=sankei20071224>{{Cite news
|author = 石橋文登
|date = 2007-12-24
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071224/stt0712242102003-n5.htm
|title = 安倍前首相インタビュー 政界混乱を謝罪 年明け活動再開 (5/5ページ)
|newspaper = 産経新聞
|accessdate = 2007-12-24
}}{{リンク切れ|date=2009年12月}}</ref>と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」<ref name=sankei20071224/>と答えている。
2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の[[唐家セン|唐家璇]]と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した<ref name=bunshun20080221>「朝鮮総連とも仲良しだって安倍前首相『地元のナイショ話』」『[[週刊文春]]』50巻7号、[[文藝春秋]]、2008年[[2月21日]]、39頁。</ref>。また、「本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべき」と主張し、政府に頼る風潮に疑問を呈した<ref name=bunshun20080221/>。
2008年[[3月5日]]、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や[[世耕弘成]]らが入会した<ref>{{Cite news
|author = 葛西大博
|date = 2008-03-06
|url = http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080306ddm005010018000c.html
|title = 安倍前首相:クールアース50懇話会座長就任、本格始動 「表舞台早過ぎ」批判も
|newspaper = 毎日新聞
|accessdate = 2008-03-06
}}{{リンク切れ|date=2009年12月}}</ref>。設立総会において、安倍は「[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]を成功させるのは私の責任」<ref>{{Cite news
|date = 2008-03-05
|url = http://www.asahi.com/politics/update/0305/TKY200803050320.html
|title = asahi.com:安倍氏、再チャレンジ始動? 「美しい星」勉強会座長に - 政治
|newspaper = [[朝日新聞]]
|accessdate = 2008-03-05
}}{{リンク切れ|date=2009年12月}}</ref>と語り、同懇話会の座長に就任した。
[[3月6日]]、清和政策研究会(町村派)の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」<ref>{{Cite web
|author = 石橋文登
|date = 2008-03-06
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080306/stt0803061931006-n1.htm
|title = 安倍氏が町村派復帰 派内の接着剤に期待感(1/2ページ) - MSN産経ニュース
|publisher = 産経デジタル
|language = 日本語
|accessdate = 2008-03-06
}}{{リンク切れ|date=2009年12月}}</ref> と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。[[4月28日]]に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、[[4月30日]]には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。
2008年[[8月15日]]朝、首相在任中に果たせなかった[[終戦の日]]の[[靖国神社]]参拝を行った。
[[第45回衆議院議員総選挙]]直後に行われた[[2009年自由民主党総裁選挙]]では、麻生太郎とともに、[[平沼赳夫]]の自民党への復党と2009年自由民主党総裁選挙への立候補を画策したが、平沼が難色を示したため実現せず、[[西村康稔]]を支援した<ref>{{Cite journal|和書
|date = 2009-11-11
|title = 小沢に保守層取り込みを許した自民党「平沼総裁構想」の蹉跌
|journal = [[SAPIO]]
|volume = 21
|issue = 19
|pages = 27-28
|publisher = [[小学館]]
}}</ref>。
2010年4月[[義家弘介]]初代[[塾長]]の[[信州維新塾]]開講式や6月[[J-NSC]]設立総会にゲスト参加。[[10月25日]]、インドの[[マンモハン・シン]]首相を来賓として迎えて開かれた[[日印友好議員連盟]]の会合で「(日印両国は)[[民主主義]]と法の統治を共有する[[同盟]]に近い関係だ」と述べた<ref>{{cite news
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101025/stt1010251737006-n1.htm
|title = 「日印、同盟に近い」 安倍氏、中国を牽制
|newspaper = MSN産経ニュース(産経新聞)
|date = 2010-10-25
|accessdate = 2010-10-25
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
====2度目の総裁就任====
[[ファイル:Abe Shinzo 2012.jpg|thumb|right|180px|2012年自由民主党総裁選挙 街頭演説会にて演説を行う安倍([[2012年]][[9月16日]]、長野県長野市)]]
[[2012年自由民主党総裁選挙]]に出馬し、9月26日、1回目の投票では1位となった[[石破茂]]を、[[決選投票]]で逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された<ref>{{Cite web
|url = http://mainichi.jp/select/news/20120926k0000e010218000c.html
|title = 自民総裁選:安倍晋三元首相が新総裁に
|newspaper = 毎日新聞
|date = 2012-9-26
|accessdate = 2012-09-26
|accessdate = 2012-10-11
}}</ref>。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は[[1956年12月自由民主党総裁選挙]]以来となった<ref>{{Cite web
|url = http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012092690143510.html
|title = 自民新総裁に安倍氏 決選投票で石破氏破る
|newspaper = 中国新聞
|date = 2012-9-26
|accessdate = 2012-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。なお、安倍はこの時、自身の体調に関し、前回の総理大臣辞任後に発売された特効薬により、ほぼ寛解したと説明している。
===内閣総理大臣に再就任===
2012年12月16日の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が294議席を獲得して圧勝。これをを受けて自民党が政権与党に復帰することとなり、同年12月26日に第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣を発足させる。なお、(1度辞任して)首相に再就任したのは、戦後では[[吉田茂]]以来2人目である<ref>ただし、吉田は初任時は[[大日本帝国憲法]]での任命であるため、日本国憲法下で初任だった首相としては安倍が初となる。</ref>。
====TPP問題====
2012年11月14日の[[野田佳彦]]首相の解散表明により選挙の争点として浮上した[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)について、自民党はASEANでのTPP参加表明に反対し、「聖域なき関税撤廃」を前提とした交渉参加には反対するとしていた<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121115/k10013505051000.html]</ref>。一方、安倍は日本商工会議所会頭の岡村正との会談では交渉に含みをもたせ、「TPP推進に対して強い交渉力を発揮して頂けるという強い意気込みは感じたので心強く思う」と評価された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL150GM_V11C12A1000000/ 自民総裁、TPP「守るべきものは守っていく交渉できる」 ]日本経済新聞 2012年11月15日</ref>。この岡村とのやりとりについて、経団連会長の[[米倉弘昌]]も「いいことだ」<ref>[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121115/biz12111519090025-n1.htm]</ref>と歓迎している。しかし、その後の記者会見では「交渉参加に前向きというのはあくまでミスリードだと思います。」<ref>[http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=-ONfXcGvU5o#t=225s
]</ref>と否定し、その結果として衆院選では160人超の候補者が、TPP交渉参加反対を訴える農協(JA)系の政治団体から推薦を受け当選した<ref>[http://www.sankeibiz.jp/macro/news/121217/mca1212172211019-n1.htm 進展見込まれるTPP交渉 まずは米国から情報収集] sankeibiz 2012年12月17日</ref>。
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣では農水大臣に農政になじみの薄い[[林芳正]]を起用し<ref>[http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2012/1227.html 政策巻き戻しに本腰] 共同通信 2012年12月28日 </ref>、[[甘利明]]、麻生太郎など経済関係の主要閣僚にもTPP賛成派を配置した<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1112180007/ 甘利明氏「TPP参加でアジア取り込む」、自民県連が勉強会]神奈川新聞 2011年12月18日 </ref>。また、新設の日本経済再生本部に設置された産業競争力会議のメンバーにも[[日本維新の会]]と関係の深い<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2701D_X20C12A9EB1000/ 維新の衆院選候補者選定、委員長に竹中平蔵氏 ]日本経済新聞 2012年9月26日</ref>TPP賛成派の[[竹中平蔵]]<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20121228-OYT1T00411.htm 経済財政諮問会議、現役社長2人を起用へ]読売新聞 2012年12月28日</ref>や、TPP早期実現要請を行なっていた[[三木谷浩史]]<ref>[http://www.j-cast.com/2012/12/26159593.html?p=all 「安倍氏、IT企業と急接近 三木谷「新経連」の重み増す」]Jcastニュース2012/12/26</ref>を加えた。さらに、経済全般のマクロ政策を決める経済財政諮問会議の民間議員も全員TPP賛成派で、[[高橋進 (経済学者)|高橋進]]は構造改革派の論客として野田佳彦民主党政権の方針を力強く後押ししていた人物<ref>[http://megalodon.jp/2012-1228-1437-16/www.smbcnikko.co.jp/column/takahashi/20111101_001.html TPP問題の先にあるもの-問われているのは成長戦略]SMBCコラム 2011年11月1日</ref>。[[伊藤元重]]にいたっては「TPPに参加できないなら、農村部にある多くの工場は閉鎖を余儀なくされる」<ref>[http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20121001/325185/ 人口移動という視点から農村と地方都市の再生を考える] 日経BP 2012年10月04日</ref>というのが持論で、野田佳彦民主党政権の「社会保障制度改革国民会議」のメンバーでもあった<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO48742390T21C12A1EE8000/ 国民会議、30日に初会合 伊藤元重東大教授ら15人決定へ] 日本経済新聞 2012年11月23日</ref><ref>[http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120823/320530/?ST=business&P=1 消費税引き上げで市場に財政健全化の意思と能力を示した ] 日経BP 2012年08月23日 </ref>。
2012年12月27日には[[経済産業大臣]]に就任した[[茂木敏充]]が、TPP交渉参加をめぐり「米国とできるだけ早い段階で話し合いの機会を持つ必要がある」と語り、 2013年1月で調整が進む日米首脳会談に向け、米国との事前協議に前向きな姿勢を示している。とくに、焦点の一つである保険分野では4月に成立した改正郵政民営化法に基づいて金融2社の政府保有株の処分を加速する方向で事務方が調整中とされる<ref>{{cite news
|url = http://mainichi.jp/select/news/20121228k0000m020064000c.html
|title = TPP:事前協議加速も 茂木経産相「早期に米と」
|newspaper = 毎日新聞
|date = 2012-12-27
|accessdate = 2012-12-28
}}</ref>。2012年12月30日のインタビューでは安倍本人が、関税になにがしかの聖域が設けられれば論理的に当然参加が視野に入る<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121231/plc12123102070001-n1.htm 安倍首相インタビュー]産経新聞 2012年12月31日 同日閲覧</ref>という見解を示した。
2013年1月5日、自民党の高市早苗政調会長はフジテレビの番組の中で「『交渉には参加しながら』守るべき国益を守る」「条件があわなかったら脱退するっていう選択肢も『ゼロではない』」<ref>[http://megalodon.jp/2013-0106-1634-33/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00238155.html 自民・高市政調会長、TPP交渉参加後に脱退する選択肢も] フジテレビ 2013年1月5日</ref>と述べ、交渉参加容認を示唆した。高市は『TPP参加の即時撤回を求める会』のメンバーである<ref>[http://megalodon.jp/2013-0106-1502-44/ameblo.jp/tpp-tekkai/theme-10032866297.html]</ref>ため、衆院選後に党内の意見が一変していることをうかがわせた。ただ異論も残るため、高市は2013年1月9日に党内論議は行うと表明した<ref>[http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013010901001492.html 政府の判断前にTPP論議を開始]共同通信 2013年1月9日</ref>。
2013年1月9日には[[日本維新の会]]の松井幹事長が11日に開かれる安倍と[[橋下徹]]との会談でTPP交渉参加を安倍に要請する考えを示した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130109/stt13010917080006-n1.htm TPP交渉参加要請へ 首相に維新幹事長]産経新聞 2013年1月9日</ref>。11日に開かれた会談の内容については、橋下が「安倍首相に『特に強くお願いしたのは構造改革』」「大胆な金融緩和というか、構造改革が必要ということで、会議に竹中平蔵先生も入られたので非常に期待している」<ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130111/waf13011113540023-n1.htm 規制緩和で橋下氏が「竹中平蔵氏に期待」 ]産経新聞 2013年1月11日</ref>と記者団に語っている<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE90A03B20130111 安倍首相に構造改革を強くお願いした]ロイター 2013年1月11日</ref>。
<!--====靖国放火犯中国送還問題====
2013年1月3日、2011年12月に靖国神社の門に放火し日本政府が引き渡しを求めている中国人の劉強容疑者について、この行為を「政治犯」と認め日本への引き渡しを認めない決定をソウル高裁が下した<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2013010300232 日本の引き渡し要求認めず=「靖国放火」中国人、帰国へ-韓国高裁]時事通信 2013年1月3日</ref>。これについて日本側は遺憾の意こそ示したものの、安倍政権の政府高官は日韓関係の修復を優先する立場から「深刻な事態とは受け止めていない」<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130103-OYT1T00522.htm 靖国放火容疑者の中国送還、韓国政府に遺憾の意]読売新聞 2013年1月3日</ref>と語っている。韓国の外交通商部はこれに関して「中国と日本が裁判所の決定を尊重することを期待する」<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/03/2013010302674.html 靖国放火中国人の中国送還 韓国「関係国も尊重を」] 朝鮮日報 2013年1月3日</ref>と述べ、中国は「この結果を歓迎する」<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013010300353 引き渡し拒否「歓迎」=中国] 時事通信 2013年1月3日</ref>との声明を出した。[[朝鮮日報]]によれば、今回の判決は「引き渡しを求めてきた国に引き渡せば迫害を受けることが予想される」という条文を根拠にして判断したという<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/04/2013010400824.html 「靖国神社放火は政治的抗議、日本に引き渡せば迫害受ける」] 朝鮮日報 2013年1月4日</ref>。
2013年1月4日、[[朴槿恵]]次期大統領と[[額賀福志郎]]特使との会談では、むしろ安倍氏の意向として朴氏に早期の訪日を要請し、この問題は議題にならなかった<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKF0408_U3A100C1000000/?dg=1 新政権下で日韓関係改善 額賀氏と朴氏が一致] 日本経済新聞 2013年1月4日</ref>。その一方、その日の記者会見において安倍は「極めて遺憾であり、強く抗議したい」<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130104-OYT1T00640.htm 首相「強く抗議したい」…靖国放火容疑者問題で]読売新聞 2013年1月4日</ref>とコメントしている。また外務省の河相事務次官は韓国のシン・ガクス駐日大使に抗議したが、シン大使は「靖国神社を単なる宗教施設でなく、過去の侵略戦争を正当化する政治秩序の象徴とみなした犯行」との韓国側の見解を説明した。<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130104/k10014583341000.html 身柄引き渡し拒否に外務省が抗議]NHK 2013年1月4日</ref>-->
==略歴==
*1954年9月21日: 東京都に生まれる。本籍地は[[山口県]][[大津郡]][[油谷町]](現・長門市)。
*1977年3月: 成蹊大学法学部政治学科卒業
*1977年4月: [[アメリカ合衆国|米国]]カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に入学。その後、ロングビーチの語学学校に転校した。
*1978年4月: 南カリフォルニア大学に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修し、1979年に中退。
*1979年4月: 株式会社神戸製鋼所入社
*1982年11月: 神戸製鋼所退社、外務大臣(安倍晋太郎)秘書官に就任
*1993年7月: 衆議院議員初当選(旧・山口1区)
*1999年10月: 衆議院厚生委員会理事
*2000年7月: 第2次森内閣で内閣官房副長官に就任
*2001年4月: 引き続き第1次小泉内閣で内閣官房副長官に就任
*2003年9月: 自由民主党幹事長に就任
*2004年9月: 自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任
*2005年10月: 第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任
*2006年9月: 自由民主党総裁に選出、第90代内閣総理大臣に就任
*2007年9月: 自由民主党総裁(中央政治大学院[[総長]])及び内閣総理大臣を辞任
*2012年9月: 自由民主党総裁に選出
*2012年12月: 第96代内閣総理大臣に就任
==主な所属議員連盟==
*[[天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟]](顧問)
*[[創生「日本」]](第2代会長)
*[[神道政治連盟]]国会議員懇談会(会長<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200912/2009121400837 天皇会見に批判相次ぐ=自民]{{リンク切れ|date=October 2012}} 時事ドットコム(時事通信)2009年12月14日</ref><ref>神政連レポート -意(こころ)No.171-より</ref>)
*[[日本会議]]国会議員懇談会
*[[みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会]]
*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]
*[[公共放送のあり方について考える議員の会]]
*[[日韓議員連盟]](副幹事長)
*[[地下式原子力発電所政策推進議員連盟]]顧問
*[[親学推進議員連盟]](会長)
*[[将棋文化振興議員連盟]]
==政見・政策==
===国家像===
;美しい国
{{See also|美しい国}}
:総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する<ref>{{cite web
|url = http://www.shinbunka.co.jp/kakonews/2006/kako06-10.htm|work=出版業界紙『新文化』
|title = 過去のニュースフラッシュ
|date = 2006-10-27
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>[[ベストセラー]]になった。政権[[スローガン]]も「'''美しい国日本'''を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「'''[[戦後レジーム]]'''(体制)」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。
:これまでの日本の歴史認識を自虐的な[[東京裁判史観]]とする保守層からは好意的に迎えられる一方、[[左派]]からは内閣発足当初から[[集団的自衛権]]を容認しアメリカに追従する[[軍国主義]]的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている<ref>『安倍晋三の本性』[[俵義文]] 、[[魚住昭]] 、[[横田一]]、[[佐高信]] 『週刊金曜日』取材班 、(「金曜日」 2006年11月)</ref>。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある<ref>{{cite journal
|url = http://web.chokugen.jp/hirano/2006/09/29_07fe.html
|author = [[平野貞夫]]
|title = 第29回「安倍晋三の総裁選公約にみる亡国性」
|date = 2006-09-12
|journal = 宮崎学責任編集「直言」
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref><ref>{{cite news
|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-27/2007052725_01_0.html
|newspaper = しんぶん赤旗
|title = ここが知りたい特集 安倍「靖国」派政権の実態 これが「靖国」派の正体 安倍政権の中枢に「日本会議」 改憲・教育・家族… 戦前回帰の「国柄」持ち込む
|date = 2007-5-27
|accessdate = 2008-04-05
}}</ref>。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う'''目標として掲げたもの'''であったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと'''現在進行形の問題'''を持ってくる報道も少なからず存在していた。ただし[[数学者]]の[[岡潔]]は準中核による真の平和の到達への戦いなどと称して生前こうした価値観を日本史上類を見ないほど具体的思索として結実させていることから、「美しい国作り」も概ね踏襲する方向になると考えられる。
;[[アジア・ゲートウェイ構想]]
:第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」<ref>
{{Cite web
|author =
|date = 2006-09-29
|url = http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html
|title = 第165回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説
|publisher = 内閣官房内閣広報室
|language = 日本語
|accessdate = 2006-09-29
}}</ref>と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の[[施政方針演説]]では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言した<ref>{{Cite web
|author =
|date = 2007-01-26
|url = http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/01/26sisei.html
|title = 第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説
|publisher = 内閣官房内閣広報室
|language = 日本語
|accessdate = 2007-01-26
}}</ref>が、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官[[塩崎恭久]]、[[内閣府特命担当大臣]](経済財政政策担当)[[大田弘子]]、特命担当大臣(規制改革担当)[[渡辺喜美]]、[[内閣総理大臣補佐官]](経済財政担当)[[根本匠]]の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かる<ref>久江雅彦「官僚に包囲された男――アジア・ゲートウェイ構想と根本匠」柿崎明二・久江雅彦『空白の宰相――「チーム安倍」が追った理想と現実』講談社、2007年、181頁。</ref> など混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。
;地方自治
:[[道州制]]の導入を検討。
===憲法===
総裁選では施行60周年を迎えた[[日本国憲法]]を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、[[21世紀]]にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた<ref name="k20061003">衆議院 本会議 平成18年(2006年)10月3日)「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。(平成18年12月19日)</ref>。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた<ref name="naigai.cside6.com">[http://naigai.cside6.com/kiji/tokyokouen/abe2.htm 週刊「世界と日本」1718号。講演録はじゅん刊「世界と日本」1070号に掲載]{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
改憲のための[[国民投票法案]]([[日本国憲法の改正手続に関する法律]])の整備を行うが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。
===外交===
[[ファイル:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|180px|[[2006年]]のAPECにて、[[大韓民国大統領]]盧武鉉、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと共に]]
[[ファイル:DickCheney visits ShinzoAbe in Tokyo, 2007Feb21.jpg|thumb|180px|[[2007年]]2月21日、[[総理大臣官邸]]にて[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]と会談]]
''下記の[[安倍晋三#歴史認識|歴史認識]]も参照''
第1次安倍内閣においては、「[[価値観外交]]」と「主張する外交」を外交の基本路線とした。このうち、「価値観外交」は、[[自由]]、民主主義、[[基本的人権]]、[[法の支配]]という普遍的な価値観を共有する国の輪を世界、[[アジア]]に拡大して行くことを目指す外交戦略である<ref>[http://www.s-abe.or.jp/policy/foreign_policy 外交-安倍晋三公式ウェブサイト]</ref>が、第1次安倍内閣で外務大臣を務めた[[麻生太郎]]が、[[自由と繁栄の弧]]として初めて提唱したものである。自由と繁栄の弧は、民主主義や法の支配などの価値について、日本が非欧米圏における先駆者としての地位にあることに着目した上、北東アジアから、[[東南アジア]]を経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという構想といえる<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/free_pros/index.html 外務省:我が国の重点外交政策「自由と繁栄の弧]</ref><ref>麻生太郎「とてつもない日本」(新潮新書)154ページ~</ref>。麻生の著書「とてつもない日本」(新潮新書)では、民主化支援、法律の整備や法律家人材育成に日本の知見を活かす[[法整備支援]]などのほか、自衛隊のPKO活動、自身の思い入れのあるマンガも含めた日本文化を通じた交流も、その具体的施策として位置付け、重視する姿勢を示していた。
2012年12月28日に発足した[[第2次安倍内閣]]も、麻生太郎を副首相兼財務大臣としたほか、第1次安倍内閣当時に外務事務次官として[[自由と繁栄の弧]]の企画・立案を行ったとされる[[谷内正太郎]]を内閣官房参与としており、改めて自由と繁栄の弧を基本とした外交政策を打ち出すと指摘されている<ref>http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/12/28/se-3/</ref>、安倍晋三が、平成24年12月28日にロシア、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなどの首脳と相次いで電話会談を行ったのもその表れと指摘されている<ref>{{cite news|title=首相、日米軸に「価値観外交」…アジア連携重視|newspaper=読売新聞|date=2012-12-29|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121229-OYT1T00441.htm|accessdate=2013-01-02}}</ref>。
[[第2次安倍内閣]]における[[価値観外交]]の特色は、中国やインドの間という地政学的優位性が高い上、経済や安全保障での重要性も高まる[[東南アジア]]を重視する点である。第2次安倍内閣最初の閣僚外遊は、[[麻生太郎]]副総理兼財務相・金融相の[[ミャンマー]]訪問であった。この点、麻生副総理は、「閣僚の最初の訪問先がミャンマーとなったこと自体、政権としてのメッセージである。」と述べている<ref name="jiron kouron">[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/142973.html NHK時論・公論「安倍政権 アジア外交の課題~東南アジアへの視点~」]</ref>。安倍晋三首相も、就任後最初の外遊先として、2013年1月16日から19日にかけ、[[ベトナム]]、[[タイ王国|タイ]]、[[インドネシア]]を訪問する。
日本の[[価値観外交]]においては、港や道路などハードのインフラの整備だけでなく、投資環境にもつながる[[法整備支援]]や、人材育成といったソフトのインフラ整備への協力を、日本の役割として位置付けることが重要と指摘されている<ref name="jiron kouron"/>。
第1次安倍内閣当時、自由と繁栄の弧には、民主主義や法の支配などの価値を共有しているとはいえない[[中国]]の反発を招くとの批判もあった。しかし、日本の国際的存在感の低下、[[尖閣]]問題に象徴される日中間の力関係の変化という新たな国際情勢のもと、中国との正面衝突を回避しつつ、アジアにおけるパワーバランスを適正に保ち、アジア及び世界の安定と発展に寄与する外交政策であると再評価されている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qapolitics/20130110-OYT8T00974.htm?from=yoltop 安倍首相の唱える「価値観外交」で、日中関係は修復するのでしょうか(読売新聞)]</ref><ref>[http://diamond.jp/articles/-/26759 上久保誠人「「平和と繁栄の弧」+「戦略的互恵関係」 安倍自民党総裁の国際戦略を再評価する」]</ref>。
;[[中華民国]]
:祖父である岸信介や父・晋太郎も[[親台派]]であり、自身も台湾などとの交流強化を目指している[[亜東親善協会]]の会長を務めているほか<ref name="far eastern">{{cite web
|url = http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=280814&ctNode=2237&mp=1
|title = 社団法人「亜東親善協会」年度総会で安倍晋三・元首相が新会長に選出
|date = 2012-05-21
|accessdate = 2012-12-30
}}</ref>、第一次安倍内閣の際には[[東京国際空港|羽田空港]]と[[台北松山空港|松山機場]]との間の直行便を推進したり、野党時代には台湾を訪問し[[馬英九]]総統、[[李登輝]]元総統などと会談を行うなど、筋金入りの親台派と言える。また、中華民国政府も安倍のことを親台派であると評価している<ref name="kankyumo20121217">{{cite web
|url = http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1217&f=national_1217_004.shtml
|title = 台湾当局、親台の安倍政権は「われわれにとってプラス」=中国報道 サーチナ
|date = 2012-12-17
|accessdate = 2012-12-30
}}</ref>。
;[[大韓民国]]
:韓国の[[親米保守]]勢力(現在は[[セヌリ党]])とは[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から代々親しく、父・晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった<ref name="s01.megalodon.jp">[http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027 http://www.chosunonline.com/article/20060921000027 - 2008年10月1日 05:29 - ウェブ魚拓<!-- Bot generated title -->]</ref>。安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております」と[[親韓]]的な発言をしていたが<ref>{{cite web
|url = http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/26press.html
|title = 安倍内閣総理大臣記者会見
|date = 2006-09-26
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>、竹島問題などの諸問題の深刻化もあり、対韓国へは強硬姿勢を見せるようになっている。
;[[中華人民共和国]]
:2006年の総裁選は、ありのままの日本を知ってもらうために多くの中国人[[留学生]]を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した[[日中関係]]の改善に意欲を見せた<ref>{{cite web
|url = http://www.47news.jp/CN/200609/CN2006090501002796.html
|title = 中国人留学生を拡大 安倍氏、関係改善に意欲
|wprk = [[共同通信]]
|date = 2006-09-05
|accessdate = 2010-06-28
}}</ref>。首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤[[中華人民共和国主席|国家主席]]と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。
;[[朝鮮民主主義人民共和国]]
:2007年[[2月12日]]に来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]]米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対する[[テロ支援国家]]指定の解除をしないように要請した<ref>{{cite news
|url = http://www.chosunonline.com/article/20070224000009
|title = 安倍首相、北に対するテロ支援国家指定の解除に反対
|newspaper = 朝鮮日報
|date = 2007-02-23
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。3月1日、[[六者会合|6者協議]]の[[日朝国交正常化]]に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。
;[[アメリカ合衆国]]
:小泉政権により強化された[[日米安全保障条約]]をさらに充実させるため[[在日米軍]]と[[自衛隊]]の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
;オーストラリア
{{main|日豪関係|安全保障協力に関する日豪共同宣言}}
:オーストラリアとは「基本的価値観を共有する<ref>{{cite web
|url = http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/01/26sisei.html
|title = 第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説
|date = 2007-01-26
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>国家として連帯強化を目指している。[[日豪FTA]]の交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年[[3月13日]]には[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に[[ジョン・ハワード]]首相とともに署名した。この宣言には[[国際連合平和維持活動|PKO]]などの海外活動や対[[テロリズム|テロ]]対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた<ref>「日豪首脳、安保共同宣言に署名・EPAは4月交渉入り」日本経済新聞 2007年3月14付</ref>。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした<ref>「日豪 安保で共同宣言 対北朝鮮、PKO連携強化 首脳会談」[[西日本新聞]] 朝刊 2007年3月14日付</ref>。
;インド
:日印両国を基本的価値と利益を共有するアジアの二大民主主義国家とし、更なる関係強化を目指している。2007年8月に日印首脳会談を行い、政治・安全保障、経済、環境とエネルギーなど多岐に渡って合意した。また、インドの国会において、日印間の更なる関係強化について「二つの海の交わり」と題する政策演説を行った。[[外務省]]は「この演説内容はインドに非常に高く評価され、スピーチ終了後は総立ちとなるスタンディングオベーションとなった」と発表している<ref>安倍総理のインド訪問(概要)[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_abe/iim_07/india_gai.html]</ref>。
===安全保障===
日本版「[[国家安全保障会議]]」(NSC) 構想を推進した。総理就任以前は憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出してきた。総理就任後は、防衛庁を[[防衛省]]へ格上げした。これは「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。
2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての[[鈴木宗男]]の[[質問主意書]]<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165125.htm
|title = 非核三原則に関する質問主意書
|work = 内閣衆質一六五第一二五号
|date = 2006-10-27
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>に対して、「政府としては、[[非核三原則]]の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「[[核兵器]]であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との[[答弁書]]<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165125.htm
|title = 衆議院議員鈴木宗男君提出 非核三原則に関する質問に対する答弁書
|date = 2007-01-07
|work = 内閣衆質一六五第一二五号
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>を出した。
===教育===
[[ファイル:Shinzo Abe with KSG Students.jpg|thumb|200px|[[総理大臣官邸]]を訪れた[[ハーバード大学]]学生らと内閣官房長官塩崎恭久と安倍晋三]]
2006年12月に教育基本法を改正し、教育の目標の一つとして[[愛国心]]という言葉を盛り込んだ他、[[義務教育]]9年の規定や[[男女共学]]の項を削除した。[[内閣府]]直属の「[[教育再生会議]]」を立ち上げ、2007年6月には[[教員免許更新制]]を導入した。その他、[[学校週五日制]]の見直しや[[大学]]進学の条件として社会[[奉仕]]活動の義務化を提唱した<ref>安倍は[[ボランティア]]という言葉を使用しているが、ボランティアの本来の意味は「自発的な行為・行動」であり、誤った用法である。</ref>。その他の政策としては、教育バウチャー制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の[[山谷えり子]]らとともに[[ジェンダーフリー]]教育に対する批判等を行った<ref>{{cite web
|url = http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/jender.html
|title = 過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている<ref name="naigai.cside6.com"/>。
===公務員改革===
内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に渡辺喜美を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、[[天下り]]、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて (1) 官民人材交流センター(人材バンク)の制度設計 (2) キャリア制度の見直し、という2つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も[[成田空港]]社長に官僚OBがなることを却下したり、[[東京証券取引所]]への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起きるようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしないなどの抵抗が見られた。
この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革(社保庁民営化)に力を入れていた。年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いからだった<ref>2006年10月3日産経新聞</ref>が、ここでも激しい抵抗にあった。[[田原総一朗]]は、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘した<ref name=bp>[http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070719_20th/index.html 日経BPネット2007年7月19日『安倍政権の倒閣を企てた官僚たちの二重クーデター』]</ref>。
===労働政策===
{{See also|労働ビッグバン}}
;再チャレンジ政策
:小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定[[雇用]]の増加やいわゆる[[経済的不平等]]の是正を掲げ、[[再チャレンジ]]政策の一環として[[フリーター]]を[[正社員]]として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の [[日本経済団体連合会|経団連]]が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「[[ワーキングプア]]と言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も[[非正規雇用]]者が[[正規雇用|正規社員]]へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、[[偽装請負]]等に関しても、「[[法令]]、[[労働基準法]]に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている<ref>{{cite conference|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510130014003c.html|conference = 第165回国会|title=参議院 予算委員会|volume=3|date = 2006-10-13 }}</ref>。
;ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
:{{要出典範囲|date=2013-01|「[[日米投資イニシアチブ報告書]]」に基づき、この制度を導入する予定であったが}}、 [[マスメディア|メディア]]で「[[時間外労働|残業]]代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、2007年1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。
;[[最低賃金]]
:最低賃金の抜本的引き上げは、「[[中小企業]]を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした<ref name="k20070130">{{cite web|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070130004.htm|title = 第166回 衆議院本会議 4号|date = 2007-01-30|accessdate = 2007-09-26 }}</ref>。2007年3月の参議院の[[予算委員会]]では、「最低賃金制度を[[生活保護]]以上にしていくという改正を行い、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した<ref name="k20070319">第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年(2007年)3月19日</ref>。
;地域間格差
:「[[格差社会|格差]]はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている<ref name="k20070301">{{cite web|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070301017.htm|title = 第166回国会 衆議院 予算委員会 17号|date = 2007-03-01|accessdate = 2007-09-26 }}</ref>。
===治安政策===
[[組織犯罪処罰法]](いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「[[国際組織犯罪防止法条約]]」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の[[通常国会]]で成立を図るよう指示したが、反対する世論があり、自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。
===党運営===
[[郵政民営化]]時の造反[[議員]]を復党させた(郵政造反組復党問題)。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。
===社会保障===
;中国残留孤児
:[[中国残留孤児]]問題における訴訟では請求を取り下げられた[[原告]]団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。
;[[慈恵病院]]の「こうのとりのゆりかご」
{{See also|赤ちゃんポスト}}
:2007年[[2月23日]]に、[[熊本市]]の慈恵病院が[[赤ちゃんポスト]]の設置を計画していることについて、「[[ポスト]]」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した<ref>「安倍首相『大変、抵抗感じる』、『赤ちゃんポスト』関連で見解」『日本経済新聞』2007年2月23日付</ref><ref>「赤ちゃんポスト 首相『抵抗ある』」東京新聞 2007年2月23日付</ref>。
;年金問題
{{See also|年金記録問題|宙に浮いた年金記録}}
:年金記録問題では民主党の小沢一郎との[[党首討論]]で「[[宙に浮いた年金記録|消えた年金]]はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」<ref name=kokkakihonseisaku20070530>{{Cite web
|date = 2007-05-30
|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/ryoin/166/0052/16605300052002c.html
|title = 両院協議会会議録情報 第166回国会 国家基本政策委員会合同審査会 第2号
|publisher = [[国立国会図書館]]
|language = [[日本語]]
|accessdate = 2007-05-30
}}</ref>「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」<ref name=kokkakihonseisaku20070530/>と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し<ref>「首相『5000万件1年で調査』――特例法案衆院委で可決」『[[讀賣新聞]]』夕刊、47138号、[[読売新聞東京本社]]、2007年[[5月31日]]、1面。</ref>、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」<ref>{{Cite web
|date = 2007-07-02
|url = http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_118334007696&v=&vm=1
|title = 年金問題「必ず解決」 安倍首相、県内で応援演説 徳島新聞社
|publisher = 徳島新聞社
|accessdate = 2007-07-02
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>と各地で演説した。
:メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた<ref>{{Cite web
|date = 2007-06-04
|url = http://www.j-cast.com/2007/06/04008151.html
|title = J-CASTニュース :「消えた年金」実は解消不能? 支持率急落安倍内閣に追い討ち
|publisher = ジェイ・キャスト
|accessdate = 2007-06-04
}}</ref>。[[社会保険庁]]は年金記録の照合作業を進めたものの、2008年3月末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された(人数や件数は2007年12月時点での推計値)<ref>{{Cite news
|date = 2007-12-11
|url = http://www.asahi.com/politics/update/1210/TKY200712100248.html
|title =名寄せ困難な年金、1975万件 宙に浮く5000万件
|newspaper = 朝日新聞
|accessdate = 2007-12-11
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった<ref name=asahi20071217>{{Cite web
|date = 2007-12-17
|url = http://www.asahi.com/special/070529/TKY200712170271.html
|title = asahi.com:首相「党のビラ、誤解招いた」 年金公約問題で - 年金記録問題
|publisher = 朝日新聞社
|accessdate = 2007-12-17
}}</ref>。福田は「(当時の)安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」<ref>{{Cite web
|date = 2007-12-17
|url = http://news.tbs.co.jp/20071217/newseye/tbs_newseye3735255.html
|title = 「「年金公約」誤解の原因は選挙用ビラ」 News i - TBSの動画ニュースサイト
|publisher = 東京放送
|accessdate = 2007-12-17
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref> と安倍を擁護したが、内閣官房長官の[[町村信孝]]は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」<ref name=asahi20071217/> と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。
:2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」<ref name=bunshun20080221/>と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって(参院選の)選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」<ref name=bunshun20080221/>と反論している。
:2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった<ref>{{Cite news
|date = 2008-03-14
|url = http://www.asahi.com/life/update/0314/TKY200803140036.html
|title = 宙に浮いた年金、統合困難2千万件 公約実現は不可能
|newspaper = 朝日新聞
|accessdate = 2008-03-14
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
:なお、国民皆年金制度は祖父・岸信介が首相時代に策定したものである。
===経済政策===
;アベノミクス
{{main|アベノミクス}}
==歴史認識==
===戦争責任・村山談話===
総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山首相談話]]」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院予算委員会で、[[A級戦犯]]について、「[[戦争犯罪]]人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、[[戦争責任]]については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061006003.htm
|title = 第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号
|date = 2006-10-06
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>。2006年10月5日、衆院予算委員会で、[[東条内閣]]の[[商工大臣]]だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061005002.htm
|title = 第165回国会 衆議院 予算委員会 2号
|date = 2006-10月-05
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>。
===慰安婦問題・河野談話===
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」の事務局長を務めた(現在は顧問)。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している<ref>{{cite web
|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html
|title = 第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号
|date = 1997-05-27
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている<ref>『[[中央日報]]』 2005年4月2日付2面。</ref>。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。
社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する質問主意書<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm
|title = 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
|date = 2007-03-08
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm
|title = 衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書
|date = 2007-03-16
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>を出した。
「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志で作る「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」による河野談話見直し発言<ref>{{cite news
|title = 「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求
|newspaper = 読売新聞
|url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm
|accessdate = 2007年3月1日
}}{{リンク切れ|date=2009年3月}}</ref>が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した世耕弘成首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言<ref>{{cite news
|title = 「河野談話は継承=世耕補佐官
|agency = 時事通信
|url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007030400072
|accessdate = 2007年3月4日
}}{{リンク切れ|date=2009年3月}}</ref>し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった<ref>{{cite news
|url = http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html
|title = Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks
|newspapaer = ワシントン・ポスト
|language = 英語
|date = 2007-03-02
|accessdate = 2007年3月2日
}}</ref>。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言をしたと報じられ<ref>{{cite news|title = 「安倍首相:従軍慰安婦で日本の責任認める 米メディアに|work = 毎日新聞|url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html|date = 2007-04-21 }}</ref>、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が『強制的に』置かれたことについて大変申し訳なく思う」<ref>{{lang-en-short|I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.}}</ref>、「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを『強制された』方々に責任を感じている」<ref>{{lang-en-short|We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.}}</ref> とお詫びを表明したと米国で報道された<ref>{{cite web
|url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm
|title = Abe explains sex slave comments
|work = BBC News
|language = 英語
|date = 2007-04-27
|accessdate = 2007-09-26
}}</ref>。また同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪したと伝えられた<ref>{{cite news
|title = 「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」
|newspaper = 中央日報
|url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&servcode=200§code=200
|accessdate = 2007年4月28日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。しかし、「強制された<ref>{{lang-en-short|forced}}</ref>」という言葉は、日本メディアは総じて報道しておらず、また安倍のそれまでの考え方と大きく違う発言でもあるため、英訳する際の「誤訳」の可能性を指摘する声が出た<ref>2007年5月2日 Jcastニュース 「[http://www.j-cast.com/2007/05/02007365.html?p=all 安倍首相「慰安婦への強制性」認めた? 英訳記事は誤報なのか]」</ref><ref>2007年9月19日 産経新聞記者 阿比留瑠比ブログ「[http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/304436/ 安倍首相は慰安婦問題で米大統領に謝罪などしていない]」</ref>。これについて安倍は後日、大統領に慰安婦問題を「謝罪した」と報じられた問題に対し、「会談で慰安婦問題は全く出なかった。そもそも日本が米国に謝罪する筋合いの話ではない」と謝罪はしていないことを示した<ref>2011年11月23日 産経新聞</ref>。第21回参議院議員通常選挙敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で慰安婦非難決議は採択された。
===靖国神社参拝===
{{see also|靖国神社問題}}
首相の靖国神社参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている<ref name="sankei20090511">{{cite news
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090511/plc0905112314016-n1.htm
|title = 安倍元首相「首相は靖国参拝すべきだ」
|newspaper = 産経
|date = 2009-05-11
|accessdate = 2009-12-09
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。また、[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった中国と韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている<ref>『[[東京新聞]]』 2005年1月9日付</ref>。
安倍は幹事長在任中の2004年・幹事長代理在任中の2005年には終戦の日(8月15日)に参拝を行った<ref name="nishinihon20061006">{{cite news
|url = http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/4280/
|title = 首相の靖国神社参拝
|newspaper = 西日本新聞
|date = 2006-10-06
|accessdate = 2010-02-23
}}</ref>が、官房長官在任中の2006年は4月15日朝、秘密裏に参拝を行った<ref name="nishinihon20061006"/><ref name="yomiuri20060804">{{cite news
|url = http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6700/news/20060804i102.htm
|title = 安倍官房長官は今年4月に靖国参拝…総裁選の争点にも
|newspaper = 読売新聞
|date= 2006-08-04
|accessdate = 2007-09-26
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた)<ref name="yomiuri20060804"/>。安倍は同年8月4日の記者会見で、この件に関し「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた<ref name="yomiuri20060804"/>。
首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。
安倍は首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している<ref name="sankei20090511"/>。
2012年9月14日党総裁選候補者による共同記者会見で安倍は「首相在任中に参拝できなかったことは、痛恨の極みだ」と述べ、再び首相に就任した場合の対応について「そのことから考えていただきたい」と語った<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20120915k0000m010121000c.html 自民総裁選:安倍氏、就任時の靖国参拝に含み]毎日新聞 2012年9月17日 閲覧。</ref>。
==利益団体との関係、人脈==
;[[統一協会]]・[[国際勝共連合]]
:官房長官当時の2006年、統一協会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会のイベントに[[祝電]]を寄せた([[保岡興治]]やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ、この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した<ref>{{cite news|url = http://news.a902.net/a1/2006/0619-17.html|title = 統一教会系集会に祝電 「担当者注意」と安倍長官|date = 2006-06-19|newspaper = 共同通信|accessdate = 2013-01-10}}</ref>。
:四半世紀を超えて統一教会と闘ってきた[[ジャーナリスト]]で民主党[[参議院議員]]の[[有田芳生]]<ref>{{cite web
|url = http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2012/09/post_829f.html
|title = 統一教会の文鮮明教祖死去にあたって
|date = 2012-09-03
|author = 有田芳生
|work = 有田芳生の『酔醒漫録』
|accessdate = 2013年1月10日
}}</ref>は安倍晋三本人に直接取材を行い、「安倍事務所が官房長官名で統一教会系の「天宙平和連合」に祝電を打ったことで本人を批判することには無理がある。国会議員の事務所は、祝電でも弔電でも、関係者から依頼があれば、その事務所レベルで判断する。いちいち「議員先生」本人に問い合わせることなどしない。安倍には統一教会への対応方針がある。それは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである」<ref>{{cite web
|url = http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html
|title = 安倍晋三と統一教会(1)
|date = 2006-09-12
|author = 有田芳生
|work = 有田芳生の『酔醒漫録』
|accessdate = 2013年1月10日
}}</ref>、「安倍晋三は北朝鮮への強行姿勢ゆえに、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎が親密だった統一教会に対し、距離を置くだけではなく厳しい対応を取っているのである」<ref>{{cite web
|url = http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_a078.html
|title = 安倍晋三と統一教会(2)
|date = 2006-09-21
|author = 有田芳生
|work = 有田芳生の『酔醒漫録』
|accessdate = 2013年1月10日
}}</ref>と述べている。また、「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している<ref>週刊朝日 2006年6月30日</ref>。
<!-- :[[霊感商法]]被害対策に取り組んできた「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、2人とも回答をしていない<ref>{{cite web
|url = http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm
|author = 全国霊感商法対策弁護士連絡会
|title = 公開質問状
|date = 2006-06-19
|accessdate = 2007年10月6日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。 -->
;公明党・[[創価学会]]
:父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという<ref>創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』(2001年3月)</ref>。
:晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」(代表幹事:[[俵孝太郎]])<ref>「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体(「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。</ref>の集会などに参加したこともあった<ref name="sgkaibou">朝日新聞[[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861</ref>。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという<ref name="sgkaibou"/>。
:首相就任直前の2006年9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、池田大作創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞<ref>『[[日経新聞]]』・『毎日新聞』・『朝日新聞』・『読売新聞』や『週刊文春』などが報じた。毎日は20日と報道。</ref>「『[[産経新聞]]』を除く」をはじめ各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った<ref>『毎日新聞』 2006年10月8日付</ref>。
:その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して、安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した<ref>{{cite web
|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html
|title = 第165回国会 参議院 予算委員会 1号
|accessdate = 2007-10-06
}}</ref>。2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した<ref name="k20070213">{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm
|title = 第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号
|accessdate = 2008-05-14
}}</ref><ref name="kmovie20070213">{{cite web
|url = http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&media_type=wn&lang=j&spkid=901&time=07:17:50.0
|title = 「インターネット審議中継」亀井静香の安倍晋三への質疑(第166回国会 衆議院 予算委員会 7号
|author = 衆議院
|accessdate = 2007-10-06
}}</ref>。
;安晋会
:{{See also|安晋会}}
:国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm
|title = 第163回国会 国土交通委員会 第14号
|accessdate = 2007-10-06
}}</ref>ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]](ヒューザーの[[ウェブサイト]]を運営していた<ref>{{cite web
|url = http://www.goalnet.co.jp/company/company.html
|archiveurl = http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html
|archivedate = 2005-03-02
|title = ゴールネット株式会社の公式サイト
|accessdate = 2008-05-14
}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの</ref>ゴールネット株式会社会長(息子の杉山剛太が社長))で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]([[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長が APAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した)である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]](経理)になっていた<ref>『[[週刊ポスト]]』(2006年2月10日号)</ref>ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために国土交通省に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun
|title = 第165回国会 衆議院 予算委員会 2号
|accessdate = 2007-10-06
}}</ref><ref>{{cite web
|url = http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm
|title = 第165回国会 参議院 本会議 5号
|accessdate = 2007-10-04
}}</ref>。
;[[アサリ]]輸入業者
:現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる<ref>「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号</ref>。
;[[コムスン]]
:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社コムスン(数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている)と親密であったことが知られている。安倍晋三が内閣官房副長官時代には[[折口雅博]]会長と対談しており<ref>[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times(現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク)]</ref>、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。
;[[在日本朝鮮人総聯合会]]
:2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」<ref name=bunshun20080221/> と述べている。
;[[在日韓国人]]の[[実業家]]
:韓国の親米保守勢力(現在は[[ハンナラ党]])とは韓国が朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての親韓派だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する在日韓国人系の[[七洋物産]](東洋エンタープライズ)関連のビルを借りている<ref name="s01.megalodon.jp"/>。
:製菓会社[[ロッテ]]創業者[[重光武雄]](辛格浩)と実父は親交深く、[[千葉ロッテマリーンズ]]の前身ロッテオリオンズ属す[[パリーグ]]史上最高の右打者[[落合博満]]と[[中日ドラゴンズ]]の守護神で[[セリーグ]]を代表する[[リリーフ]]投手[[牛島和彦]]や[[守備固め]][[上川誠二]]と86年オフ世紀のトレードにも繋がっている。重光が[[ネーミングライツ]]でロッテオリオンズ支援していた時期の球団オーナーだった[[中村長芳]]は安倍晋太郎と[[山口県立山口高等学校|山口中学]]同級生で岸の下で総理大臣秘書官だった。晋三自身も重光の次男[[重光昭夫]](辛東彬)とは同い年の友人である。
;[[慧光塾]]
:[[光永仁義]]([[1947年]][[11月3日]]-2005年[[7月13日]])が1993年に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」(1991年倒産)では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた<ref>「{{cite web
|url = http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html
|title = 『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠
|work = 情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」(山岡俊介取材メモ)
|author = [[山岡俊介]]
|date = 2005-07-08
|accessdate = 2007年10月6日
}}</ref>。
;[[日興コーディアルグループ]]
:2006年、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、東京証券取引所は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」<ref>{{Cite news
|date = 2008-02-21
|url = http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html
|title = 中国新聞ニュース
|publisher = [[中国新聞社]]
|accessdate = 2008年2月21日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>と指摘している。
:なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した<ref>{{Cite news
|date = 2008-02-21
|url = http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm
|title = 安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解
|newspaper = 産経
|accessdate = 2008年2月21日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
==問題を指摘された言動==
===首相復帰への批判===
{{Main|安倍晋三への批判一覧}}
===NHKへの圧力疑惑===
{{Main|NHK番組改変問題|日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷#外国からの政治的影響を指摘する批判}}
===脱税疑惑===
『週刊現代』は2007年9月29日号(9月15日発売)において、安倍が[[相続税]]を[[脱税]]していたとの記事を掲載した。内容は「父・晋太郎が生前、自身の指定政治団体に「安倍晋太郎」名義で寄付した6億円以上の政治資金を、66の政治団体に分散させて引継ぎ、3億円を脱税した」というものである<ref name="sapio20090408">{{Cite journal|和書|author = 松田光世|date = 2009-04-08|title = 『政略結婚』あり『隠し財宝』ありの政治家世襲はまるで悪代官時代劇だ|journal = SAPIO|volume = 21|issue = 7|pages = 82-83|publisher = 小学館 }}</ref>。 『週刊現代』は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした<ref>「『脱税疑惑』全くの誤り=週刊誌取材に安倍首相事務所」時事通信 2007年9月13日</ref>。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、発行元の講談社に対して、当該記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、「父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか」との質問が『週刊現代』側からあったという。同事務所は、安倍の辞意表明当日の『毎日新聞』夕刊がこの一件について報じたことを受け、自民党本部の[[記者クラブ]](本部平河クラブ)にて、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎず、個人献金ではないので相続税の問題はない」とする内容の文書を配布し、疑惑を全面的に否定した<ref name="sapio20090408"/>。これについて、ジャーナリストの[[松田光世]](「高瀬真実」のペンネームで『週刊現代』の当該記事を執筆した)は、「その説明が正しいなら、安倍事務所は『安倍晋太郎』という偽名を使って[[政治資金収支報告書]]への虚偽の記載を毎年続けていたことになる」と述べている<ref name="sapio20090408"/>。
本件は[[刑事事件]]としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」「自主的に納めていただきたい」などと掲載した。
=== ヤジ扇動疑惑 ===
国会で自分の質問時間以外にも予算委員会室に詰め、大声で汚い言葉を並べてヤジを連発する[[稲田朋美]]、[[西田昌司]]、[[丸川珠代]]、[[森雅子]]の裏に控えているのは安部という指摘があり、このヤジに対しては「自民党の品位を下げ、非常に悪い印象を与える」と自民党内からも批判されている<ref>[http://shukan.bunshun.jp/articles/-/812 菅首相が閉口する“ヤジ将軍”ウラに控えるのはあの元首相] - 週刊文春WEB2010年12月16日</ref>。
===危機管理===
;[[えひめ丸事故]]
:2001年[[2月10日]]、アメリカ合衆国[[ハワイ州]]沖にて、[[愛媛県立宇和島水産高等学校]]所属練習船「[[えひめ丸]]」が[[アメリカ海軍]]所属[[原子力潜水艦]]「[[グリーンヴィル]]」に衝突され沈没する事故が発生した。[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|森政権]]では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事故発生時には、内閣総理大臣森喜朗、[[防災担当大臣]](危機管理担当兼務)[[伊吹文明]]と内閣官房長官福田康夫は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事故発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた森喜朗に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm 第151回国会 予算委員会 第7号(平成13年2月16日(金曜日))]</ref>。
;[[イラク日本人人質事件]]
:2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。そこに同席した安倍には、逐一、携帯電話で状況が報告されたが、会食が終わるまで小泉首相には報告しなかった。
;能登半島地震
:2007年[[3月25日]]、[[石川県]][[輪島市]]沖の日本海で[[マグニチュード]]6.9の[[能登半島地震]](最大[[震度]]6強)が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の[[江田憲司]]は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」<ref name=shukanasahi20070511>関百合子・喜多克尚「勤務は『9時 - 9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、朝日新聞社、2007年[[5月11日]]、34頁。</ref>と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」<ref name=shukanasahi20070511 />と批判した。なお、安倍内閣発足から204日間のうち、安倍が公邸に引っ越してから週末・休日に就寝した場所の内訳は公邸34%、私邸49%となる<ref>関百合子・喜多克尚「勤務は『9時 - 9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『週刊朝日』112巻22号、朝日新聞社、2007年5月11日、33-35頁。</ref>。
;平成19年台風第4号
:2007年[[7月14日]]、[[平成19年台風第4号]]([[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|SSHS]]カテゴリー4)が[[鹿児島県]]に上陸した。この[[台風]]は、[[沖縄県]]接近時に[[那覇市]]で最大瞬間風速56.3[[メートル]](日本国内の7月の観測史上最大)を記録し、本土上陸時中心気圧は945[[ヘクト]][[パスカル]](7月に日本に接近した台風としては観測史上初)を記録したことから、極めて大きな被害が予想された。同日、官邸で開かれた災害対策関係省庁局長会議にて安倍は「人命救助を最優先してほしい」と指示した。しかし、内閣府特命担当大臣(防災担当)の[[溝手顕正]]は自身の[[第21回参議院議員通常選挙|選挙]]運動のため帰郷したまま東京に戻らず、安倍も溝手に対し帰京する指示を出さなかったことから、防災対策の最高責任者が不在のままとなり論議を呼んだ。なお、この台風により全国各地で大規模な被害が発生したため、[[激甚災害法]]に基づき[[激甚災害]](いわゆる「本激」)に指定された。
;新潟県中越沖地震
:2007年[[7月16日]]、[[新潟県]]沖の日本海でマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震(最大震度6強)が発生した。第21回参議院議員通常選挙の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。
:元[[経済企画庁長官]]の[[堺屋太一]]は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」<ref name=jiji20070722>{{Cite web
|date = 2007-07-22
|url = http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/070722.html
|title = 時事放談
|publisher = [[TBSテレビ|TBS]]
|language = 日本語
|accessdate = 2007年7月22日
}}</ref>と指摘し、衆議院議員の[[加藤紘一]]は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」<ref name=jiji20070722/>と指摘した。さらに、安倍の行動については「首相が発生直後に行けば、現場が首相への対応に人手を割かなければいけなくなり、行っても混乱するだけだ」<ref>「首相『危機管理』に懸命――政権発足後、初の大地震」『讀賣新聞』47518号、読売新聞東京本社、2008年[[6月15日]]、4面。</ref>との指摘もなされている。
===福島第一原発事故===
*2005年[[12月13日]]、[[第3次小泉内閣 (改造)|小泉政権]]下において、[[日本共産党]]の[[吉井英勝]]から「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165256.htm 平成十八年十二月十三日提出 質問第二五六号 巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書 提出者 吉井英勝]</ref>を[[内閣]]に提出され、後の[[福島第一原子力発電所事故]]で現実のものとなる電源喪失のケースなどの対策に注意を促されたが、当時内閣官房長官であった安倍は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」「原子炉施設の安全を図る上で重要な設備については、法令に基づく審査、検査等を厳正に行っている」<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm 平成十八年十二月二十二日受領 答弁第二五六号 衆議院議員吉井英勝君提出巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書 内閣総理大臣 安倍晋三]</ref>とし、今後も原子力の安全確保に万全をつくすことを回答した<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm 2010年3月1日(月)「しんぶん赤旗」チリ地震が警鐘 原発冷却水確保できぬ恐れ 対策求める地元住民]</ref>ものの、具体的な対策はなされなかった。
*2011年5月20日、自身が発行するメールマガジン<ref name="sabemailmag20110520">{{Cite web
|date = 2011-05-20
|url = http://www.s-abe.or.jp/mailmagazine/2291
|title = 菅総理の海水注入指示はでっち上げ
|language = 日本語
|accessdate = 2011年5月28日
}}</ref>にて、[[東日本大震災]]によって発生した福島第一原子力発電所事故における海水注入対応について当時の総理大臣・[[菅直人]]に対し「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」と発信し、「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」と退陣を要求した。しかし、事故当時の福島第一原発所長[[吉田昌郎]]の判断により実際には海水注入は中止しておらず、総理大臣から中止の指示があったという指摘についても、翌2012年の国会の東京電力福島原発事故調査委員会において、中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの[[武黒一郎]]によるものだったことを武黒本人が認めている<ref>産経新聞 『再臨界ない「知っていた」 海水注入中止指示で』 2012.5.28 23:36 [http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120528/plc12052823370036-n1.htm]</ref><ref>{{cite news
|url = http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012032801001541.html
|title = 首相への説明優先で海水注入中止 国会の事故調査委で東電幹部
|nespaper = 共同通信
|date = 2012-03-28
|accessdate = 2012-09-19}}</ref>。これに関し、菅は安倍にウソの情報を流されたとして、謝罪と訂正を要求している<ref>[http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11400011406.html 安倍自民党総裁への訂正と謝罪要求]</ref>。
===発言===
[[ファイル:Abe Bush Heiligendamm G8 2007 001.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[7月]]、マスコミからの取材に応じるアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ(右)と安倍]]
;原子爆弾の保有・使用
:2002年[[2月]]、[[早稲田大学]]での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば[[原子爆弾]]の保有や使用も問題ない」、と発言したと『[[サンデー毎日]]』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した[[第2次岸内閣|岸内閣]]の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した<ref>{{cite web
|url = http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/011215420020610014.htm
|title = 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 14号
|accessdate = 2007-10-06
}}</ref>。
;民主党を「中国の拡声器」
:2002年5月19日中国・[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件]]に関して、日本国外務省の不手際を調査するため中国を訪問した民主党を、テレビ番組において「中国の拡声器」と批判した。安倍は2日後の5月21日、参議院[[外交防衛委員会]]において、民主党の激しい反発に遭い、発言を[[撤回]]した<ref>{{cite web
|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/154/0059/15405210059015c.html
|title = 第154回国会 参議院 外交防衛委員会 15号
|accessdate = 2010-10-31
}}</ref>。
;土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」
:2002年10月19日[[広島市]]・[[岡山市]]の講演において「[[1985年]]に韓国入国を図り逮捕された[[辛光洙]](シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、[[盧泰愚]]政権に要望書を出した人たちがいる。それが[[土井たか子]]、あるいは菅直人だ」「この2人は、[[スパイ]]で原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した<ref>{{cite news|newspaper = 朝日|title = 安倍副長官、「間抜け」発言を不適切と認める|date = 2002-10-26 }}</ref>。
:なお、父・晋太郎は外務大臣在任中の[[1984年]][[4月25日]]、衆院外務委員会において、[[日本社会党]]の土井たか子議員が、韓国の在日韓国人政治犯の釈放に向け日本政府の尽力を求めたことに対し、「私も外務大臣となって2年近く、韓国の外務大臣や要人と会うたびに、この政治犯の取り扱いについて人道的な配慮を加えてほしいということをしばしば申し入れて、今日に至っている」と述べ、「内政干渉にわたらない範囲内で人道的配慮を韓国[[政府]]に絶えず求めていきたい」「この7月に行われる外相会談でも、(土井)委員の要請を十分踏まえて対応する」と答弁している<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/101/0110/10104250110010c.html 第101回国会 外務委員会 第10号]</ref>。
;カタカナ語
:所信表明演説や施政方針演説において「[[外来語|カタカナ語]]」を使い過ぎているとの指摘を受けた<ref>「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「[[リバースモーゲッジ|リバースモーゲージ]]」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「[[イノベーション]]」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「[[バイオマス]]」、「[[同一性|アイデンティティー]]」など所信表明演説では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。</ref><ref>『朝日新聞』(2007年1月22日付夕刊) コラム「窓」</ref>。
;漢字一文字で「責任」
:2006年末に記者から「今年を漢字一文字で表すと?」と質問された際に、「それは…『責任』ですかね」と、二文字の漢字を回答した。
;ときわ台駅での警察官の殉職
:[[東武東上線]][[ときわ台駅 (東京都)|ときわ台駅]]で自殺しようとした女性を救おうとして[[殉職]]した、[[警視庁]]板橋署の<!--'''宮本'''邦彦-->[[巡査部長]]を2007年2月12日夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を<!--”'''みやけ'''”と-->2度にわたって間違えた<ref>{{cite news
|title = 「首相が板橋署を弔問 『日本人として誇り』」
|newspaper = スポーツ報知
|date = 2007-02-13
}}</ref>。首相公邸連絡調整官(妻・昭恵の補佐員)と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の[[吉川潮]]は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判している<ref>コラム・断「殉職警官のフルネーム」『産経新聞』 2006年2月18日付</ref>。
;長崎市長射殺事件
:2007年[[4月17日]]、[[長崎市長射殺事件]]が発生し[[長崎市]][[市長]][[伊藤一長]]が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」<ref>「<長崎市長銃撃>首相『厳正に捜査を』」『毎日新聞』[[毎日新聞社|毎日新聞東京本社]]、2007年[[4月18日]]。</ref><ref>「安倍首相『厳正な捜査、真相の究明望む』・長崎市長銃撃事件」『日本経済新聞』[[日本経済新聞社]]、2007年4月18日。</ref><ref>「首相『真相究明望む』長崎市長銃撃」『朝日新聞』[[朝日新聞社|朝日新聞東京本社]]、2007年4月18日。</ref>との短い総理談話を発表した。[[国際連合事務総長]]や与野党の党首・幹事長らが民主主義に対する[[テロ]]や[[暴力]]を強く非難する声明を発表する中<ref>「[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/48220/ 長崎市長死去で、政党幹部、閣僚らテロを非難-政治ものニュース:イザ!]」産経デジタル、2007年4月18日。{{リンク切れ|date=2010年12月}}</ref>、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した<ref>「長崎市長銃撃市長死亡政界怒りの声」『産経新聞』[[産経新聞社]]、2007年[[4月19日]]。</ref>。
:一方で、安倍サイドからメディアへの批判もなされている。『WiLL』によれば射殺事件について『週刊朝日』が2007年5月4日・10日合併号の広告で「長崎市長射殺事件と安倍晋三首相秘書との『接点』」という大見出しを掲載した。射殺犯と秘書に関係があるとするものであるとして、安倍は直ちに「言論テロ」と抗議し、朝日新聞は夕刊社会面に同誌[[山口一臣]]編集長の訂正記事を掲載したが、安倍は誠意の不足を理由として追及を止めず、週刊朝日は全国紙4紙に謝罪広告を出すことになった。この件について森喜朗は次のように述べている。
{{quotation|抗議するときは、中身だけではなく広告の見出しに対してもすべきだと学びました。(後略)
<br>安倍総理は「これが真実なら総理を辞め、政治家も辞める」とまで言いました。その発言は、やや不用意で政治家はそんなに軽いものじゃない、と思わないでもないのですが、ある意味あの発言により、国民はどちらが真実を語っているのか、察したんじゃないでしょうか。<br><br>朝日新聞は安倍総理を就任直後から叩いてきた。これは例の「朝日・NHK問題」でやられたから余計過激に反応しているのでしょう。|森喜朗(聞き手[[大下英治]])「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2007年9月P54}}{{See also|長崎市長射殺事件}}
;石川遼
:2007年[[5月23日]]、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」<ref>「ハニカミ便乗? 安倍首相たしなめられた」『スポーツニッポン』2007年5月25日。</ref> ていた[[杉並学院高等学校]]の[[石川遼]]との会談が実現し、安倍は総理大臣官邸にて揮毫を手渡したが、石川は[[5月25日]]から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、[[第21回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に向けた話題づくりとして、[[投票権]]すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞した[[作家]]の[[重松清]]は「『[[教育]]』を[[政策]]の柱に掲げる首相が、[[平日]]に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」<ref name=shigematsu>重松清「シゲマツ解説委員長が斬るニュースの読み方アソビ方――安倍首相『ハニカミ王子』と対面――参院選の話題作りがミエミエ」『夕刊フジ』11543号、産業経済新聞社東京本社、2007年5月27日、5面。</ref>と批判し、安倍が「真実一路」と記された[[色紙]]を石川に渡したことについて「この[[言葉]]を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」<ref name=shigematsu/>と評した。なお、「真実一路」とは安倍内閣の[[農林水産大臣]]であった松岡利勝の座右の銘でもある。
;松岡利勝の自殺
:松岡利勝[[農水相]]自殺に関して、「慚愧に堪えない」(恥ずかしくて仕方がない)とコメントした。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」<ref>「かばった末首相沈痛――『任命責任重さ感じる』――政権への影響『大きい』」『朝日新聞』43508号、朝日新聞東京本社、2007年[[5月29日]]、2面。</ref>と解説しているが、メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。
;2007年の参議院選挙
:2007年参院選期間中の講演等で「(今回の選挙で)私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。
;2008年の衆議院補欠選挙
:2008年4月、[[山口県第2区]]の衆議院議員補欠選挙にて、[[岩国市]]で自民党公認候補の[[山本繁太郎]]を支援する演説を行った際に、[[光市母子殺害事件]]の被害者家族について「[[光市]]の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さんを応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです。」<ref>「安倍前首相『政治利用』に光市母子殺害本村さんが絶句」『週刊文春』50巻19号、文藝春秋、2008年[[5月15日]]、161頁。</ref> と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの[[遺影]]を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです。」<ref name=bunshun20080515162>「安倍前首相『政治利用』に光市母子殺害本村さんが絶句」『週刊文春』50巻19号、文藝春秋、2008年5月15日、162頁。</ref>と発言した。
:しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。(山本候補を応援した事実は)まったくありません」<ref name=bunshun20080515162/>と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、[[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|総理]]にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて(聴衆の一人として)お会いしました」<ref name=bunshun20080515162/>と説明した上で、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」<ref name=bunshun20080515162/>と語っている。
:安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」<ref>衆議院議員安倍晋三事務所『[http://newtop.s-abe.or.jp/Members/admin/tsuti.pdf 株式会社文藝春秋「週刊文春」編集部]{{リンク切れ|date=October 2012}}』2008年[[5月9日]]。</ref>と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」<ref>衆議院議員安倍晋三事務所『[http://newtop.s-abe.or.jp/Members/admin/5-12.pdf 株式会社文藝春秋「週刊文春」編集部]{{リンク切れ|date=October 2012}}』2008年[[5月12日]]。</ref>と主張している。そのうえで、この問題を報道した文藝春秋に対し抗議文を送付した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080509/stt0805092125004-n1.htm 安倍前首相が文春に抗議 - MSN産経ニュース]{{リンク切れ|date=October 2012}} 産経新聞 2008年5月9日{{リンク切れ|date=2010年12月}}</ref>。
==人物像==
;身体
:[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]、[[身長]]175cm、[[体重]]70kg<ref>{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abeprofile/index.html|title=安倍総理プロフィール|author=首相官邸|accessdate=2007年10月6日 }}</ref>。
;座右の銘
:[[吉田松陰]]の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」<ref name="j3270mmi">「自民党総裁選:3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-2006総裁選」『朝日新聞』2006年9月9日</ref>。「初心忘るべからず」<ref>「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」『読売新聞』2006年9月8日付</ref>。
;愛読書
:[[古川薫]]の『[[留魂録]]の世界』(留魂録は吉田松陰の著作である)<ref name="j3270mmi"/>。
;尊敬する人物やファンである人物
:[[幕末]]期の思想家吉田松陰を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の[[松下村塾]]があり、そこの門下生だった[[高杉晋作]]から「晋三」の名が付けられた<ref>{{cite web
|url = http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061102.html
|title = 安倍総理のライブ・トーク官邸 第4回「教育再生」
|author = 内閣府大臣官房政府広報室
|work = [[政府広報]]オンライン
|date = 2006-11-02
|accessdate = 2007年10月6日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
:現在では非常に親しい間柄である(後述)[[アグネス・チャン]]は、2、30代のころファンだった<ref name="fsuka"/>。
;好物
:安倍の好物は[[焼き肉]]、[[ラーメン]]、[[アイスクリーム]]、[[スイカ]]<ref name="j3270mmi"/><ref name="jp06921">{{cite web
|work = 人民網日文版
|date = 2006-09-21
|url = http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/21/jp20060921_63241.html
|title = 安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ
|accessdate = 2007-09-26
|accessdate = 2012-10-11}}</ref>。子供の頃から変わらない好みらしい<ref>{{cite web
|url = http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061116.html
|title = 安倍総理のライブ・トーク官邸 第6回「みんなで毎日朝ごはん」
|author = 内閣府大臣官房政府広報室
|work = 政府広報オンライン
|date = 2006-11-16
|accessdate = 2007年10月6日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「[[百識王|百識〜百で知るひとつの知識〜]]」によれば、[[ナポリアイスクリーム]]の PUPU と、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]の洋菓子店 MARRY'S の[[マンゴープリン]]が好物だという(MARRY'S の[[パティシエ]]は安倍の同級生)<ref>{{cite web
|url = http://www.venture-ac.ne.jp/seminar/detail/20070115155330.html
|title = 月例セミナー「伝統を生かした商品開発」
|author = [[日本ベンチャー学会]]
|date = 2007-01
|accessdate = 2007年10月6日
}}</ref>。
:2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけは[[ハヤシライス]]であった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った<ref>「ハヤシライスが大好きな安倍首相の健康問題」”FACTA” 2007年6月号</ref>。
;[[ファッション]]
[[ファイル:Shinzo Abe & George W Bush, 2007Apr27.jpg|thumb|170px|[[2007年]]4月27日、カジュアルな装いでアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ(右)と]]
:寒がりである<ref>{{cite web
|url = http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061207.html
|title = 安倍総理のライブ・トーク官邸 第8回「ウォームビズから始めます」
|work = 政府広報オンライン
|author = 内閣府大臣官房政府広報室
|date = 2006-12-07
|accessdate = 2007年10月6日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>ため、小池百合子[[環境大臣]]の音頭でスタートした[[クール・ビズ]]の一環である「国会内は[[ワイシャツ]]・ノー[[ネクタイ]]」が導入された当初は背広で通していた<ref>「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」『WWDジャパン』10月2号</ref>。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第2位となった<ref>「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」『東京新聞』2006年7月30日付</ref>。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門で[[ベストドレッサー賞]]を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした<ref>{{cite web
|url = http://www.mfu.or.jp/bestdresser2002.html
|title = 第31回 ベストドレッサー賞(2002年)
|accessdate = 2007年10月6日
}}</ref>。一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である[[牛尾治朗]]が1981年に受賞している。
;アーチェリー
:大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に[[全日本アーチェリー連盟]]の第6代会長に就任している(前任は同じく首相経験者の[[海部俊樹]]、父の安倍晋太郎も第4代会長である)<ref>{{cite web
|url = http://www.archery.or.jp/ajaf/enkaku.html
|title = 沿革
|author = 社団法人全日本アーチェリー連盟
|accessdate = 2007年10月6日
}}</ref>。2007年3月25日に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し<ref>{{cite news|url = http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070325-175016.html|title = アーチェリー連盟、安倍首相を会長に推薦|newspaper = ニッカンスポーツ|date = 2007-03-25 }}</ref>、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった<ref>{{cite news|title = 安倍首相アーチェリー連盟会長2期目へ|newspaper = ニッカンスポーツ|date = 2007-04-14 }}</ref>。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている<ref>「安倍会長を再任=アーチェリー連盟」時事通信、2007年4月14日</ref>。
:2006年4月28日の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のバラエティ番組では、[[明石家さんま]]とアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した<ref>{{cite web
|url = http://newtop.s-abe.or.jp/janews/5fc5898b-4ee38b7058eb306e30a230fc30c130a730ea30fc59ff521d516c958b
|title = 必見! 代議士のアーチェリー姿初公開
|work = 安倍晋三公式サイト
|date = 2006-04-27
|accessdate = 2007年10月6日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。
;ゴルフ
:ゴルフも趣味の一つであり、アメリカ留学中も、現地で知り合った友人とプレーしていた<ref name="kakei20100921">加計孝太郎「交遊抄――アイム・ソーリー」『日本経済新聞』44774号、日本経済新聞社、2010年9月21日、32面。</ref>。そのころともにプレーした友人には、のちに[[加計学園]][[理事長]]に就任する[[加計孝太郎]]などがおり、交遊を深めるきっかけとなった<ref name="kakei20100921"/>。ただ、ゴルフの[[マナー]]は総じて悪いという。2008年、久しぶりに加計と一緒にコースを回った際、安倍たちの前の組の進行が遅いという出来事があった。すると、安倍はプレー中、小さな声で「早くしろ」<ref name="kakei20100921"/>と悪態を延々とつき続けていたという。
;アグネス・チャン
:アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で<ref name="aakt">{{cite news|url = http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/19/0000275610.shtml|title = 安倍総理がアグネスに歌詞提供|newspaper = [[デイリースポーツ]]|date = 2007-03-19 }}</ref><ref name="agsd">「安倍首相が作詞家デビュー」[[スポーツ報知]] 2007年3月19日付</ref><ref>{{cite web
|url = http://akie-abe.jp/index.php?ID=18
|title = クリスマス
|work = 安倍昭恵のスマイルトーク
|date = 2007-02-05
|author = 安倍昭恵
|accessdate = 2007年10月6日
}}</ref>、よく食事をともにする<ref name="sb2031009">『週刊文春』(2003年10月9日号)161ページ</ref>。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが<ref name="fsuka">{{cite web
|url = http://news.livedoor.com/article/detail/3040505/
|title = 紀香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?
|author = 新華通信社
|work = 新華社NEWS
|date = 2007-02-21
|accessdate = 2007年10月6日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った<ref name="gendainet07022420">「恐るべしアグネス・チャン?!」 ゲンダイネット(2007年3月23日)</ref>。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ<ref name="sb2031009"/>、「草原の輝き」を歌った<ref name="gendainet07022420"/>。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという<ref name="fsuka"/>。<!--アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる<ref name="fsuka"/>。--->また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念する[[アルバム]]のために、安倍は「平和」をテーマにした[[歌詞]]を[[作詞]]した<ref name="aakt"/><ref name="agsd"/>。
;語学
:若い頃にはアメリカに留学し南カリフォルニア大学で学んでいるが、[[英語]]は比較的苦手としている。[[2009年]]、留学時代からの友人である加計学園理事長の加計孝太郎とハワイに旅行した際には、安倍は現地の住民と英語で言葉を交わしている<ref name="kakei20100921"/>。その様子を見た加計は「留学時代と変わらないカタカナを読むような英語だった」<ref name="kakei20100921"/>と評している。
==家族 親族==
[[ファイル:PM and Mrs Abe arrive at WH 26 April 2007 cropped 1.jpg|thumb|170px|[[2007年]][[4月26日]]、[[ホワイトハウス]]にて妻安倍昭恵(右から2人目)を伴いアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ夫妻と]]
*先祖に[[安倍宗任]]、[[平知貞]]、[[佐藤忠信]]ら。[[佐藤信寛]](政治家)、[[本堂恒次郎]](軍医)、[[大島義昌]](軍人・[[陸軍大将]]、[[子爵]])等がいる。
*祖父 安倍寛(政治家)、岸信介(官僚、政治家・首相)
*大叔父 佐藤栄作(官僚、政治家・首相)
*父 [[安倍晋太郎|晋太郎]](新聞記者、政治家)
*母 洋子(岸信介長女)
*兄 寛信(三菱商事執行役員、妻は[[ウシオ電機]]会長牛尾治朗の娘)
*弟 [[岸信夫|信夫]](岸家へ養子、政治家)
*妻 昭恵(森永製菓創業家の出身。創業者・[[森永太一郎]]から数えて6代目)
;家庭
:昭恵夫人は[[韓流]]スターや[[韓国ドラマ]]が大好きで[[朝鮮語|韓国語]]までも習得したほどである。[[ファーストレディ]]の親韓的な姿勢は、小泉政権時代に悪化した[[日韓問題|日韓関係]]の改善に繋がるものと期待された。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。
:昭恵夫人との間に子供はいないが、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフント]]の愛[[イヌ|犬]]・ロイがいる。ロイは安倍が[[首相官邸]]に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることになった(現在も留守番中)<ref>「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」毎日新聞 2006年11月25日付</ref>。ロイはこのことが非常に辛いようである<ref>{{cite web
|url = http://akie-abe.jp/index.php?ID=28
|title = 「週末」
|author = 安倍昭恵
|work = 安倍昭恵のスマイルトーク
|date = 2007-02-05
|accessdate = 2007年10月6日
}} ロイの写真あり</ref>。
;岸信夫
:実弟の岸信夫が[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された<ref>松田賢弥「安倍晋三『空虚なプリンス』の血脈」『週刊現代』講談社、2006年。</ref>。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」<ref name=asahi20080327>{{Cite news
|date = 2008-03-27
|url = http://www.asahi.com/national/update/0327/SEB200803270010.html
|title = 安倍前首相の元秘書の請求棄却 週刊現代名誉毀損訴訟
|newspaper = 朝日新聞社
|accessdate = 2008年3月27日
}}{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>として筆者であるジャーナリストの[[松田賢弥]]を訴えたが、[[山口地方裁判所]]下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」<ref name=asahi20080327/>として秘書の訴えを棄却した。
[[File:Kishi Family.jpg|thumb|300px|right|<center>農商務省時代の[[岸信介]]([[1923年]])<br>左から岸良子、[[岸信和]]、佐藤栄作、岸信介、吉田寛</center>]]
;系譜(山口県長門市)
:山口県大津郡日置村(後に油谷町に分割→現長門市)の安倍家は、[[江戸時代]]、大[[庄屋]]を務め、[[酒]]や[[醤油]]の[[醸造]]を営み、やがて大津郡きっての[[名家]]と知られるようになった<ref>野上忠興著 『気骨 安倍晋三のDNA』44頁</ref>。
:祖父の安倍寛が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった<ref>『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 216-217頁</ref>。
:「共同通信社」出身のジャーナリスト[[古沢襄]]によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家の[[ルーツ]]は岩手県([[安倍氏 (奥州)]])であり、安倍宗任の末裔だと言っていたという。安倍宗任は[[1051年]]の[[前九年の役]]にて[[源頼義]]、[[源義家]]率いる[[源氏]]に破れ、[[大宰府]]に配流された奥州([[陸奥国]])の[[豪族]]である。『閨閥 改訂新版 <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』216-217頁に「家系図をひもとくと安倍家は、[[鎌倉時代]]以前の奥州征伐などで名高い[[阿倍比羅夫]]、前九年の役の[[安倍貞任]]にまで繋がる歴史ある[[名門]]である」とある。安倍家の元[[家政婦]]は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる[[家系図]]を調べ歩いた。その結果、油谷町に住み着いた一族が[[安倍宗任|宗任]]の流れをくむ者たちであること、[[青森県]][[五所川原]]の石搭山・荒覇吐(あらはがき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げた。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は昭和62年(1987年)7月末、出馬表明した総裁選の全国遊説の折、妻洋子と晋三夫妻を伴い同神社に出向き、先祖供養を果たした。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の[[岡本太郎]]であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという{{sfn|野上忠興|2004|pp=41-44}}。[[平成]]元年(1989年)に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「宗任」』と題する、次の序文を寄せている。“宗任より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら、と願うことしきりです”{{sfn|野上忠興|2004|p=44}}。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は[[平氏]]であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父 岸信介、佐藤栄作兄弟は源義経の郎党 佐藤忠信の末裔とされる<ref>{{cite web|url = http://www.kajika.net/furusawa/20060709-2.htm|title = 安倍宗任と安倍晋三|author = 古沢襄|accessdate = 2007年10月6日}}</ref>。[[家紋]]は「丸に立梶の葉」。
<pre>
┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇
明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫
┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王
┃ ┏彬子女王
┣━━━━━┫
麻生太賀吉 ┃ ┗瑶子女王
┃ ┏信子
┣━━┫
┃ ┗麻生太郎
┏和子
吉田茂━━━━┫
┗桜子
吉田祥朔 ┃
┣━━━━━吉田寛
┏さわ
┃ ┏寛子(栄作夫人)
┣佐藤松介━━┫
┃ ┗正子
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造
┃
┃(池上)
┣佐藤作造
┃
┗茂世 安倍晋太郎 ┏安倍寛信
┃ ┃ ┃
┣━┳佐藤市郎 ┣━━━━╋安倍晋三
┃ ┃ ┃ ┃
(佐藤)┃ ┃(岸) ┃ ┗岸信夫
┏岸秀助 ┣佐藤信介━━洋子
┃ ┃
┃ ┃
岸要蔵━━┫ ┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治
┃ ┃
┃ ┗佐藤信二
┗岸信政━━良子
(信介夫人)
</pre>
<pre>
┏岸秀助━━岸信介━━━┳岸信和
┃ ┃
┃ ┗洋子
岸要蔵━┫ ┃
┃ ┃ ┏安倍寛信
┃ ┃ ┃
┗岸信政━良子 ┃ ┃
┣━━╋安倍晋三
大島義昌━秀子 ┃ ┃
┃ ┃ ┃
本堂恒次郎━静子 ┃ ┃
┃ ┃ ┗岸信夫
┣━━━━━━━━━━安倍晋太郎
┃
安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛
</pre>
==著書==
*『吾が心は世界の架け橋-安倍[[外交]]の全記録』 (安倍晋太郎外交対象, [[新外交研究会]], [[1992年]]4月)
*『この国を守る決意』([[岡崎久彦]]との共著 2004年1月 [[扶桑社]] ISBN 4-594-04331-3
*『安倍晋三対論集 日本を語る』 ([[PHP研究所]] 2006年4月 ISBN 4569643639)
*『美しい国へ』(文藝春秋 2006年7月 ISBN 4166605240)
*『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- [[有識者]]の主張』 ([[言論NPO]] 2006年12月 ISBN 9784903743011)
==論文==
*[http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&count=100&sortorder=3 国立情報学研究所収録論文] [[国立情報学研究所]]
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
==参考文献==
*[[佐藤朝泰]] 『豪閥 地方豪族のネットワーク』([[学研ホールディングス|立風書房]]、2001年、75頁)
*[[神一行]] 『閨閥 改訂新版 <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』([[角川書店]]、2002年、62、212-228頁)
*{{Cite|和書|author=[[野上忠興]]|title=気骨 安倍晋三のDNA|publisher=講談社|date=2004|isbn=978-4062123082|ref=harv}}
*[[山際澄夫]] 『安倍晋三と「宰相の資格」』(小学館、2006年)
*大下英治 『安倍家三代』([[徳間書店]]、2006年)
*[[水島愛一朗]] 『安倍晋三の人脈』([[グラフ社]]、2006年)
*俵義文・魚住昭・横田一・佐高信・『[[週刊金曜日]]』取材班『安倍晋三の本性』(株式会社[[金曜日]]、2006年、ISBN 4906605206)
*[[上杉隆]] 『官邸崩壊』(新潮社、2007年 ISBN 4103054719)
*{{Cite journal|和書|author=安倍昭恵|title=初めて明かす『安倍辞任』の真相|journal=週刊新潮|volume=53|issue=1|publisher=新潮社|date=2008年1月3日1月3・10日|ref=harv}}
==関連項目==
{{Commons|Shinzo Abe}}
{{wikinewshas|安倍晋三|
*[[n:安倍改造内閣が発足|安倍改造内閣が発足]]
*[[n:退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明|退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明]]
*[[n:安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後|安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後]]
}}
*[[第1次安倍内閣]]
*[[第1次安倍内閣 (改造)]]
*[[統一教会]]
*[[美しい国]]
*[[再チャレンジ]]
*[[労働ビッグバン]]
*[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]
*[[安晋会]]
*[[真の人権擁護を考える懇談会]]
*[[親学]]
*[[岡潔]]
*[[第2次安倍内閣]]
*[[自由と繁栄の弧]]([[価値観外交]]) - 第1次安倍内閣において、外務事務次官であった谷内正太郎が企画・立案し、外務大臣であった麻生太郎が提唱したとされる外交政策。第2次安倍内閣でも外交の基本政策になると指摘されている。
==外部リンク==
*[http://www.s-abe.or.jp/ あべ晋三] 公式サイト
*[http://www.kantei.go.jp/jp/abesouri/index.html 歴代内閣情報(HP開設以降):安倍総理] - 首相官邸
*[http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/19abe.html 安倍晋三略歴](内閣官房長官時代のもの) - 首相官邸
*[http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/90.html 歴代総理の写真と経歴] - 首相官邸
*{{Twitter|AbeShinzo}}
*{{Facebook|abeshinzo}}
{{start box}}
{{s-off}}
{{succession box
|title = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]]
|before = [[小泉純一郎]]<br>[[野田佳彦]]
|years = 第90代:2006年 - 2007年<br>第96代:2012年 -
|after = [[福田康夫]]<br>現職
}}
{{succession box
|title = {{Flagicon|日本}} [[内閣官房長官]]
|before = [[細田博之]]
|years = 第72代:2005年 - 2006年
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}}
{{Succession box
|title = {{flagicon|日本}} [[内閣官房副長官]](政務担当・衆議院)
|years = 2000年 - 2003年
|before = [[額賀福志郎]]
|after = [[細田博之]]
}}
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{{succession box
|title = [[自由民主党総裁]]
|before = [[小泉純一郎]]<br>[[谷垣禎一]]
|years = 第21代:2006年 - 2007年<br>第25代:2012年 -
|after = [[福田康夫]]<br>現職
}}
{{succession box
|title = [[自由民主党幹事長]]
|before = [[山崎拓]]
|years = 第37代:2003年 - 2004年
|after = [[武部勤]]
}}
{{end box}}
{{日本国歴代内閣総理大臣
|当代 = 90
|在任期間 = 2006年 - 2007年
|前代 = [[第3次小泉改造内閣|89]]
|前首相名 = 小泉純一郎
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|次首相名 = 福田康夫
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|2前代=[[野田内閣|95]]
|2前首相名=野田佳彦
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{{G8の首脳}}
{{内閣官房長官}}
{{自民幹事長}}
{{自由民主党 (日本)}}
{{DEFAULTSORT:あへ しんそう}}
[[Category:日本の内閣総理大臣]]
[[Category:日本の閣僚経験者]]
[[Category:衆議院議員]]
[[Category:自由民主党の国会議員]]
[[Category:山口県選出の国会議員]]
[[Category:日本の保守政治家]]
[[Category:日本の反共主義者]]
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