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==第一篇 立命の學說==
  立命とは何か,即ち自分自身が運命を創り出すのであつて運命に束縛されないことです。本篇「立命の學說」は立命を學問として討論し其の道理を解釋したものです。袁了凡先生は自己の經驗,目にした凡ゆる運命改造の試煉を彼の息子袁天啓に告げそして息子に運命に束縛されることなく,如何に些細な善事でも真心込ゆて全力を盡くして行い更に如何なる小さな惡とも斷絕する樣心掛ければ必ず自己の運命を變えられるものであると言うて有ります。所謂「惡を斷ち善を修め」ば「災去り福來る」此れが運命改造の原理です。
(contracted; show full)要求する心があれば必ず功名を得富貴を要求する心があれば必ず富貴を得る」とよく言はれています,人に遠大な理想が有れば恰かも樹木に根がある樣です,木に根があれば芽、葉、枝、花が出て來ます,人が偉大な理想を立てるなら須らく謙虛な感えを持つべきです,譬え塵埃の樣に小さい事でも傍にいる人の便利を計らなけばいけません,斯くが如く行えられたら自然天地を感動させ得ます,而し福を造るのは全く自分自身によるのです,自分が本當に造る氣が有れば造ることが出來ます,現在功名を求めて居る人は當初真心があつたか疑はしく一時の衝動に驅けられたのではないでせうか興味が來れば行つて求め興味が醒めたら止めると言う樣なものです。孟子が齊國の宣王に對して曰く「大王は音樂を好むが若し極點に到れば齊國の國運は興隆の可能があります。然し大王が音樂を好むのは唯個人の快樂の追求のみです若し個人の快樂を追求する心を以つて民と共に樂しむ迠に推し廣め庶民をも快樂にすることが出來れば齊國が興隆しないわけがありません」。國家試驗合格の名譽を求める心を以つて着實に德を積み善を行う事を推し廣めそして心と力を盡くして行えば運命と福報は總べて自分自身で決定することが可能です。