Difference between revisions 93043 and 93044 on jawikisource{{header |title=アルミニウス主義条項 |editor= |wikipedia=アルミニウス主義 |notes= ; 出典 : 信條集 前・後篇。新教出版社刊。著作権者:原文:(財)キリスト教文書センター 発行所:株式会社 新教出版社 (:初版:原文、日本語版)1957年6月10日第1版第1刷。1994年9月10日 復刊 第1刷 成立年:A.D.1610年オランダ國會提出。レモンストラント(抗議者)たちによる。レモンストランティア(<ref>予定説カルヴィニズム修正主義-英文:Remonstrance</ref>建白書)。このウィキソースの日本語漢字文は現代漢字に置き換えてあり原版ではありません。(原日本語旧漢字版からの転写筆)原版:原日本語旧漢字体原版は新教出版社発刊の活字版本書にある通り: {{translation license | original = {{PD-old}} | translation = {{unknown|訳者名、日本語版発行年、[[ヘルプ:パブリックドメイン#著作権タグ|著作権タグ]]}} }} }} 第一條 神は、聖霊の恩恵によってこの聖(み)子イエスを信じ、この恩恵によって終りまでも、この信仰と信仰の服従との中にかたく留まるもの達を、聖(み)子イエス・キリストにある永遠にして変わることなき目的によって、世の創世の初めから、キリストにおいて、キリストのために、キリストによって、堕落して罪深き人類の中から救い給うことを、他方また、改まることなきものたちや不信仰なるものたちを、ヨハネ伝三章三六節の「御子を信ずる<ref>自身の心の向きで信仰の心のある者が信者の要件とする。人が、贖いに信仰を働かせることで、その人に対する贖いの契約の効果は発効する。神は予知しておられたのかも知れないが、其処の所は議論の余地あり。恩恵は予定されるものではないとのイエズス会の議論(モリナ説-主義)や、正教の「共働(神と人間の両方の契機が必要?!先行性-因果性云々は無意味で、全体的に神の救いの業である?!ギリシャ語から来た、ロシア語:シネルギイ、英語:シナジー[神人協力説])」が有名である。</ref>ものは永遠の生命を持ち、御子に従わぬ者は生命を見ず、反って神の怒その上に止まるなり」との福音の言と、聖書の他の章句とに従って、罪の中に、そして怒りの下に委棄し、断罪してキリストから遠ざけたもうことを決定していたもう、ということ。 第二條 これに一致して世界の救い主、イエス・キリストは、すべてのもののため、また各個人のために死に、そうしたもうことによって彼は、彼らすべてのために、彼の十字架における死によって贖いと罪の許しとを獲得したもうたが、しかしヨハネ伝三章一六節の「それ神はその独り子を賜うほどに世を愛したまえり、すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得んためなり」のとの言に従って信仰者以外の何ものも、この罪の赦しを現実的に受けはしないということ。なおヨハネ第一書二章二節には、「彼は我らの罪のために宥(なだめ)の供物たり、唯にわれらの為のみならず、また全世界のためなり<ref>カルヴィンの特殊贖罪説は有名であるが、一部の尖鋭な極端な(神学書?!キリスト教綱要)論で、聖書の御言葉(に属する聖書の御言葉の下の注釈書??!カルヴィンの註解書は有名?!!聖書の御言葉のみで、教会の諸公会議などには拘束されないことを信じる、と少なくとも主張しているので、)は、一般(普遍?!)贖罪説を示しているようである、とエリクソンにも書いてある。</ref>」とある。 第三條 人は、自身で、また自身の自由意志の力によって救済の恩恵(ラテン語は「信仰」)を持たず<ref>宗教の施設(会衆内の成員である必要性)や、崇拝の中、神の聖霊の恩恵の下に居ることが必要だと言える。</ref>、同様に彼は、背信と罪の状態にあって、自身でまた自身によって、(救済の信仰がすぐれてそうあるが如き)真に善き何事かを、思うことも、欲することも、なすこともできず、ヨハネ伝第一五章五節の「汝ら我を離るれば、何事をも為し能わず」とのキリストの言葉に従って、真に良きことを正しく理解し、思い、欲し、達成するために、彼は、キリストにあって、彼の聖霊によって、神から再び生まれ、悟性、性向、あるいは、意志、また彼の全機能において、新たにされることが必要である、ということ。 第四條 神のこの恩恵は、あらゆる善の根源、継続、また完成であって、再生せるもの自身も、先行的、あるいは扶助的、覚醒的、後行的、また協働的恩恵なくしては、善を思い、欲し、あるいは、なすこともできず、悪へのいかなる誘惑にも抵抗し得ないほどである。したがって、考えられ得る一切の善き行為あるいは行動は、キリストにある神の恩恵に帰せられねばならない、ということ。しかし、この恩恵の働きの様式に関して言えば、聖霊にさからった多くの人々に関して記されているのと同様、それは拒否せられぬものではない。使徒行伝第七章<ref>使徒七章五十一節。</ref>その他多くの個所。 第五條 真の信仰によってキリストに結び合わされたものたちは、そのことによって、生命を与える彼の霊への参与者となり、そのことによって、サタン、罪、世、彼ら自身の肉に立ち向かい、勝利を得るのに充分な力を持つ、ということ。よく理解されている如く、それは、飽くまでも聖霊の支援の恩恵によるものであり、イエス・キリストは、あらゆる誘惑にあって、彼の霊によって彼らを助け、彼の霊によって彼らを助け、彼の手を彼らに差し伸べ、ただ彼らが戦いに備え、彼の助けを求め、怠惰でなければ、彼らを堕落から守り給う。従って彼らは、ヨハネ伝第一〇章二八節の「誰にても彼らを我が手より奪うこと能わず」とのキリストにの言に従い、サタンの巧計あるいは勢力によって誤らせられ、キリストの手から引き離されることはできない。しかして、彼らは、怠慢によって、キリストにある彼らの生命の発端を再び放棄し、この現在の罪の世に復帰し、彼らに述べられた聖なる教理から逸脱し、善き良心を喪失し、恩恵をなおざりにすることができるかどうか、それは、われら自身がわれらの心に充分な確信をもってそれを教え得る前に、聖書に基づいてさらに詳細に決定しなければならない<ref>特殊恩恵(洗礼:バプティスマ)を受けると、改革派、カトリックで、心[額(ひたい)]に消えない徴が付けられる。が、アルミニウス主義に於いては(:敢えての故意、勝手意志による?!)脱落、堕落の可能性を認める。神や(間違いのない?!)宗教(が間違っている可能性?!)に属する従順である限りの必然性の堕落、脱落は無いと信ずる。悪い木(義に過ぎてもイケナイと(伝道7:16)??!神は罪を命令も予定もされていない:エデンの園の契約はアダムの子孫が全地に広がるという、神の修正しない絶対の言葉は今もって有効だと!!:恩寵は予定されるものではないとイエズス会のカトリックでも?!罪を犯すなかれと御言葉でも?!)、宗教(間違いの?!プロテス…ってカトリックを導入している??!使徒-アタナシオス信条経で?!)だと悪い実がなり得るが、間違いのない宗教(聖書の宗教?!)である限り、間違いの実は産み出せないはずのキリストの律法の御言葉である!(マタイ伝7:17、ルカ伝6:43!)</ref>。 ______________ かように提出され、教えられるこれらの信条を、レモンストラント達(抗議者達)は、神の言に合致するものであり、建徳に資するものであり、この論議に関して言えば、救いのために充分なものであり、従って、これより高く昇り、あるいはこれより低く降ることは、必要でも、あるいは建徳的でもない<ref>非予定説のアルミニウス-アリウス主義的宗教が旧約からの聖書的宗教、正統的宗教のものであり(多くの人の思いがキリストによって暴かれるため?!ルカ伝2:35!!)、それは正教の「共働」やカトリシズム(イエズス会主義-モリナ主義)も包含する、とエリクソンの神学書第四巻アルミニウス主義に言及の所にある通り。カルヴィン自身が、ルターの改革の悪しきところを修正しようとした所もあり、改革派教会の一信条(一信仰告白?!人文主義的の信仰?!エラスムス的?!奴隷意志論には少なくとも同意しない?!)であり、かような過程(オランダ?!)を経て、成立したものであり、改革教会に含まれるも、いろいろな多様性の中で、成立したものであり、際立って特殊なるものでも無い。一括統治などは無いので、ポーランドのソッツィーニ派(アリウス派などとカルヴィン自身も批判した?!)なども改革派から出た。個人の御言葉の理解で修正したものでもあり(ルター自身が個人の聖書理解を許した?!ルターとしてはキリスト教世界教会自体全体を批判、拒否するつもりであった?!ツヴィングリなどの悪い癖は聖霊の聖書のみには無い?!ツヴィングリ系の真の宗教(象徴説?!)の種が聖書にある??!)、オランダのリシャルト・デリク・コウルンヘルトなどの一信徒などの影響も見られる(話しを理解して?!彼にも横柄な癖があって?!)ヴルガタ訳(からのウィクリッフ訳や?!)をも含む聖書やその人文書類、聖書の解説書とか(聖書の再洗礼派も?!)、のみから学んだ信仰であり、ツヴィングリやルターから学んだということでは無い。南アルプスの北イタリア、ロンバルディアの貧者のワルド派(ゲルマンの移民のアリウス主義派の子孫?!の最後の王国?!最初はこの世のものならず、武装しなかった?!ヨハネ18:36!!)なども改革派教会に一翼を担って、親交を持ってもいる(宗教改革に巻き込まれて?!)。「改革派教会」のウィキペディアも参照。</ref>、と考える。 ==脚注== <references/> ==ウィキペディアの記事== * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 モリナ主義] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%83%8D 共働] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0 カトリシズム] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%81%A9%E5%AF%B5 一般恩寵、特殊恩寵] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E5%BE%8C%E9%80%80%E8%80%85 信仰後退者の教理] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%92%E3%81%AE%E6%B0%B8%E9%81%A0%E5%A0%85%E6%8C%81 聖徒の永遠堅持] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E6%B4%BE レモンストラント派] * [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%9D%A9%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A% 改革派教会] ==外部リンク== * [http://www.d-b.ne.jp/mikami/christ4.htm カトリック思想史第IV篇] 個人の自由意志でもって義とせられることに同意し、救済に協力しなければならない?!!p,218頁。予定説では個人の善き業の価値がゼロ?!p,221頁。布教(アルミニウス主義の裏切りもあるという、「改革教会信仰告白の神学」、という本あり?!カルヴィニズムが救いに関して解らないように、アルミニウス主義も可能性を論じているに過ぎない所もあるかも知れない。カトリック教会が母なる教会??!という可能性も?!)、熟考して最も善き道程を選ぶこと?!活動を選ぶこと?!神学で、カトリシズムも包含すると?!p,235,-6頁。 * [http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/sekaikan01.html 正教世界観-人間。正教の公式ページ] 共働の「シネルギイ[:英語:シナジー]」についてと「テオシス(神化=成)」について。神の御前でも自由であり続けると?! 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