Revision 122622 of "アルミニウス主義条項" on jawikisource

{{header
|title=アルミニウス主義条項
|year=1610
|editor=
|wikipedia=アルミニウス主義
|notes=
; 出典
: 信條集 前・後篇。新教出版社刊。著作権者:原文:(財)キリスト教文書センター 発行所:株式会社 新教出版社 (:初版:原文、日本語版)1957年6月10日第1版第1刷。1994年9月10日 復刊 第1刷 成立年:A.D.1610年オランダ國會提出。レモンストラント(抗議者)たちによる。レモンストランティア(建白書)。このウィキソースの日本語漢字文は現代漢字に置き換えてあり原正文版ではありません。(原日本語旧漢字版からの転写筆)原正文版:原日本語旧漢字体原正文本文版は新教出版社刊行の活字版本書にある通り:
}}
 第一條

 神は、聖霊の恩恵[:恩寵]によってこの聖(み)子イエスを信じ、この恩恵[:恩寵]によって終りまでも、この信仰と信仰の服従との中にかたく留まるもの達を、聖(み)子イエス・キリストにある永遠にして変わることなき目的によって、世の創世の初めから、キリストにおいて、キリストのために、キリストによって、堕落して罪深き人類の中から救い給うことを、他方また、改まることなきものたちや不信仰なるものたちを、ヨハネ伝三章三六節の「御子を信ずるものは永遠の生命を持ち、御子に従わぬ者は生命を見ず、反って神の怒その上に止まるなり」との福音の言と、聖書の他の章句とに従って、罪の中に、そして怒りの下に委棄し、断罪してキリストから遠ざけたもうことを決定していたもう、ということ。

 第二條

 これに一致して世界の救い主、イエス・キリストは、すべてのもののため、また各個人のために死に、そうしたもうことによって彼は、彼らすべてのために、彼の十字架における死によって贖いと罪の許しとを獲得したもうたが、しかしヨハネ伝三章一六節の「それ神はその独り子を賜うほどに世を愛したまえり、すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得んためなり」のとの言に従って信仰者以外の何ものも、この罪の赦しを現実的に受けはしないということ。なおヨハネ第一書二章二節には、「彼は我らの罪のために宥(なだめ)の供物たり、唯にわれらの為のみならず、また全世界のためなり」とある。
 

 第三條
 

 人は、自身で、また自身の自由意志の力によって救済の恩恵[:恩寵](ラテン語は「信仰」)を持たず、同様に彼は、背信と罪の状態にあって、自身でまた自身によって、(救済の信仰がすぐれてそうあるが如き)真に善き何事かを、思うことも、欲することも、なすこともできず、ヨハネ伝第一五章五節の「汝ら我を離るれば、何事をも為し能わず」とのキリストの言葉に従って、真に良きことを正しく理解し、思い、欲し、達成するために、彼は、キリストにあって、彼の聖霊によって、神から再び生まれ、悟性、性向、あるいは、意志、また彼の全機能において、新たにされることが必要である、ということ。


 第四條


 神のこの恩恵は、あらゆる善の根源、継続、また完成であって、再生せるもの自身も、先行的、あるいは扶助的、覚醒的、後行的、また協働的恩恵[:恩寵]なくしては、善を思い、欲し、あるいは、なすこともできず、悪へのいかなる誘惑にも抵抗し得ないほどである。したがって、考えられ得る一切の善き行為あるいは行動は、キリストにある神の恩恵[:恩寵]に帰せられねばならない、ということ。しかし、この恩恵[:恩寵]の働きの様式に関して言えば、聖霊にさからった多くの人々に関して記されているのと同様、それは拒否せられぬものではない。使徒行伝第七章その他多くの個所。
 


 第五條


 真の信仰によってキリストに結び合わされたものたちは、そのことによって、生命を与える彼の霊への参与者となり、そのことによって、サタン、罪、世、彼ら自身の肉に立ち向かい、勝利を得るのに充分な力を持つ、ということ。よく理解されている如く、それは、飽くまでも聖霊の支援の恩恵[:恩寵]によるものであり、イエス・キリストは、あらゆる誘惑にあって、彼の霊によって彼らを助け、彼の霊によって彼らを助け、彼の手を彼らに差し伸べ、ただ彼らが戦いに備え、彼の助けを求め、怠惰でなければ、彼らを堕落から守り給う。従って彼らは、ヨハネ伝第一〇章二八節の「誰にても彼らを我が手より奪うこと能わず」とのキリストにの言に従い、サタンの巧計あるいは勢力によって誤らせられ、キリストの手から引き離されることはできない。しかして、彼らは、怠慢によって、キリストにある彼らの生命の発端を再び放棄し、この現在の罪の世に復帰し、彼らに述べられた聖なる教理から逸脱し、善き良心を喪失し、恩恵[:恩寵]をなおざりにすることができるかどうか、それは、われら自身がわれらの心に充分な確信をもってそれを教え得る前に、聖書に基づいてさらに詳細に決定しなければならない。

     ______________

 かように提出され、教えられるこれらの信条を、レモンストラント達(抗議者達)は、神の言に合致するものであり、建徳に資するものであり、この論議に関して言えば、救いのために充分なものであり、従って、これより高く昇り、あるいはこれより低く降ることは、必要でも、あるいは建徳的でもない、と考える。

==ウィキペディアの記事==
* [[w:モリナ主義]]
* [[w:共働]] 人の方の契機も必要だという事!!人の方が無関心だったら、期を逸すると言う事!!キリストの方に手を差し伸べることが自由意志の内にできる!!と!!ツヴィングリのカトリシズムかも?!当時のラテン語の聖書はカトリックのラテン語の教育を受けた者しか読めないと!!
* [[w:カトリシズム]]
* [[w:一般恩寵]]
* [[w:特別恩寵]]
* [[w:信仰後退者]]
* [[w:聖徒の永遠堅持]]
* [[w:レモンストラント派]]
* [[w:改革派教会]]

==外部リンク==
* [http://www.d-b.ne.jp/mikami/christ4.htm カトリック思想史第IV篇] 個人の自由意志でもって義とせられることに同意し、救済に協力しなければならない?!!p,218頁。予定説では個人の善き業の価値がゼロ?!p,221頁。布教(アルミニウス主義の裏切りもあるという、「改革教会信仰告白の神学」、という本あり?!カルヴィニズムが救いに関して解らないように、アルミニウス主義も可能性を論じているに過ぎない所もあるかも知れない。カトリック教会が母なる教会??!という可能性も?!)、熟考して最も善き道程を選ぶこと?!活動を選ぶこと?!エリクソンの神学書で、カトリシズムも包含すると?!p,235,-6頁。
* [https://ja.wikipedia.org/wiki/共働 共働] 共働の「シネルギイ[:英語:シナジー]」についてと「人間の方の契機も必要」神人協力説?!
{{translation license
 | original    = {{PD-old}}
 | translation = {{PD-Japan}}
}}