Difference between revisions 43233 and 43507 on jawikisource== 一、幼いころ == 私が生まれたのは東京江戸川べりの東五軒町というところである。そのころは、まだ水がきれいで、江戸川でアユがとれたことは幼年のころのかすかな記憶に残っている。また家の食堂の前にぶどうの木があって、それにはいあがって、ぶどうをとったのも、淡い思い出である。そのほかは、この東五軒町の家については、あまり覚えていない。ただ、父(和夫)が当時の川田日銀総裁などと相談して、江戸川べりに桜の植樹をやり、それを手伝ったことだけは、なにかしら、いいことをしているという気分で胸がふくらんでいたのを覚えている。 私が現在の音羽の家に住むようになったのは明治二十五年である。私は明治十六年一月一日生まれだから、数え年十歳のときだったわけである。この年は父が選挙に負けたときだ。おやじは「こういうときこそ積極的になんでも建設に向かわねば……」といって、音羽にきたわけである。当時の家は大きな木造家屋で三十畳の間があるかと思えば、玉突場もあるという、だだっぴろいものであったが、これはその後、大正十二年に建直している。 (contracted; show full) 「十月七日、秋晴。十一時半事務所に行く。一時半準備懇談会開催、安藤氏主催者側あいさつ、自分が新党につき意見を発表。党名、宣言、政綱、政策等につき懇談をとぐ。芦田氏の衆議院解散の動議を決し、創立委員を座長の松野氏と自分とに指名一任、四時頃散会。集まるもの、秋田、山形、福島、滋賀、その他遠隔の地より参会、あるいは医博、法博、経博、文化人(菊池寛氏など)その他二百数十名に達し、人々その盛会をよろこぶ」というのが、当日の私の日記であり、超えて十一月九日、日比谷公会堂の日本自由党結成大会もまた非常に盛大なものであった。 火ぶたはこうして切られ、あとは大目標に向かって直進した。十日ほど経て私は新党の使命を説くために全国遊説の旅に出た。当時の汽車旅行が、いかに、さん さたんたるものであったかは、ご存じの方もあろう。仙台行きのときは、やむを得ず進駐軍列車内に入って二世軍人の好意に浴したこともあり、仙台から青森へ行った晩には、風雪の中を、外とうを頭からかぶって目をつむって我慢しているうちに、ようやく車掌室を提供してもらって移り、やっと約束の時間にたどりついたというようなこともあった。 帰途はまた郵便車のやっかいになり急行のないノロノロ列車にゆられたためか、帰京後急に発熱し、血タンまで吐いた。三週間は絶対安静というのを、わずか三日間寝ただけですぐ四国から九州方面へ長駆した。こうした努力のかいがあってか、二十一年四月の総選挙には多年の経験を生かした松野鶴平氏の名采配(さいはい)よろしきを得て、わが党はとうとう百四十一名の大量議席を獲得して、進歩、社会両党を五十名ほど引離したのであった。努力は正当にむくいられたのであった。 == 十四、追放でショック == (contracted; show full)ひところ世間では私のことを“悲劇の政治家”というような言葉で同情してくれたことがある。昭和二十一年四月、日本自由党の総裁として選挙に大勝した途端に追放となったり、またその解除の直前に病気で倒れたりしたことに対してであろうと思う。だが、私自身はいままでの人生を通じ現在も含めて、そんなに悲劇的な生涯だとは思わない。それどころか、いままで語った経歴によってもわかる通り、割合に恵まれた環境に育ち、世間の人からも過分の友愛を寄せられてきたことに幸福を感じている。私は人間というものは結局、信頼をおけるものであると明るく肯定する。政界に身を置くかぎり、人に裏切られたり、煮え湯を飲まされたりの経験はかならずあるが、それにもかかわらず、最後は人間というものは相手を信頼してかからねば生きていけないものである。また、人を信ずることが最高の政策でありうるような、そういう世界が来ることを、切に祈ってやまないのである。 == 出典 == [[w:日本経済新聞|日本経済新聞]]昭和33年(1958年)6月10日 - 6月26日 {{DEFAULTSORT:はとやまいちろう}} [[Category:私の履歴書]] All content in the above text box is licensed under the Creative Commons Attribution-ShareAlike license Version 4 and was originally sourced from https://ja.wikisource.org/w/index.php?diff=prev&oldid=43507.
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