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{{Wikipedia|鳩山一郎}}
== 一、幼いころ ==

私が生まれたのは東京江戸川べりの東五軒町というところである。そのころは、まだ水がきれいで、江戸川でアユがとれたことは幼年のころのかすかな記憶に残っている。また家の食堂の前にぶどうの木があって、それにはいあがって、ぶどうをとったのも、淡い思い出である。そのほかは、この東五軒町の家については、あまり覚えていない。ただ、父(和夫)が当時の川田日銀総裁などと相談して、江戸川べりに桜の植樹をやり、それを手伝ったことだけは、なにかしら、いいことをしているという気分で胸がふくらんでいたのを覚えている。

私が現在の音羽の家に住むようになったのは明治二十五年である。私は明治十六年一月一日生まれだから、数え年十歳のときだったわけである。この年は父が選挙に負けたときだ。おやじは「こういうときこそ積極的になんでも建設に向かわねば……」といって、音羽にきたわけである。当時の家は大きな木造家屋で三十畳の間があるかと思えば、玉突場もあるという、だだっぴろいものであったが、これはその後、大正十二年に建直している。

(contracted; show full)

ひところ世間では私のことを“悲劇の政治家”というような言葉で同情してくれたことがある。昭和二十一年四月、日本自由党の総裁として選挙に大勝した途端に追放となったり、またその解除の直前に病気で倒れたりしたことに対してであろうと思う。だが、私自身はいままでの人生を通じ現在も含めて、そんなに悲劇的な生涯だとは思わない。それどころか、いままで語った経歴によってもわかる通り、割合に恵まれた環境に育ち、世間の人からも過分の友愛を寄せられてきたことに幸福を感じている。私は人間というものは結局、信頼をおけるものであると明るく肯定する。政界に身を置くかぎり、人に裏切られたり、煮え湯を飲まされたりの経験はかならずあるが、それにもかかわらず、最後は人間というものは相手を信頼してかからねば生きていけないものである。また、人を信ずることが最高の政策でありうるような、そういう世界が来ることを、切に祈ってやまないのである。

== 出典 ==
[[w:日本経済新聞|日本経済新聞]]昭和33年(1958年)6月10日 - 6月26日




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